『らも―中島らもとの三十五年』中島美代子

らも 中島らもとの三十五年

らも 中島らもとの三十五年

中島らもの熱心な読者ではないのだけれど、『寺山修司と生きて』と同じ文脈で、鴻上尚史が紹介していたことを思い出して、これを機にまとめて読んでしまう。

中島らもは無教会のクリスチャンホーム育ち、奥さんの美代子さんはカトリックのクリスチャンホーム育ちというあたりが、個人的にはかなりツボ。質実剛健で教育熱心ならもの実家と、5万坪の敷地を持ち、庭に教会を立てて、どんぶり勘定の浪費家だった美代子さんの実家。それぞれの家を美代子さんは、「私が野性種のお嬢さまなら、らもは温室育ちのシティボーイだった。」と表現している。

らもと美代子さんの家庭はやがて、アルコールと、薬と性的放埓の「ヘル・ハウス」になる。よくまあ、子供がふたりも育ったなあ、と感心する。
出会ったころの幸せな記憶、結婚してから心が離れていく様子、家庭の荒廃、そして晩年の穏やかな愛…という夫婦のストーリーって、どこか別のところで読んだなあ、と思っていたのだけど、読んだ翌日、はっと思いだす。西原理恵子だ。あのうちも、子供たちが健やかに育っている様子。こういう家の子供たちはいったい、どう感じているんだろうかねえ。

らもの愛人であった「ふっこ」こと、わかぎえふについても書いている。

順番というのは残酷で、私が先に、らもと出会って、結婚して、子供を産んだ。ふっこがどんなにらもを想っても、らもと結婚したいと願っても、私がいる限り妻の座にはつけない。叶わぬ想いを抱えているふっこが気の毒だった。

というくだりは、人によっては、相当嫌味なせりふだ。でも、nikkouは、あーまり嫌な感じがしなかった。美代子さんというのは、多分に無邪気な人なんだろう。
わかぎえふの作品は、文庫で1つ2つ読んで、すごく、私とあわないっ!と思ったことだけ覚えている。
昨年、NHKラジオ語学講座「リトル・チャロ」の脚本で、ひさしぶりにわかぎえふの名を目にしたが、やっぱり、「いやーーーーっ! こんなん、ちょーつまらーん!」と思った。「自分を信じれば、夢は必ずかなう」みたいな死にそうに陳腐なセリフ、いくら語学のためとはいえ、毎日毎日、いわれたかない、とすごいストレスでありました。
それを、美代子さんが、相変わらずの無邪気な嫌味さで、こう言っている。

らもは人情に厚い人だったから、『浪速の下町はええでっせ』的なものを好んで書いていた。
ところが、ふっこは、らものやりたいことが理解できなかった。ふっこは喜怒哀楽や起承転結のあるもの、たとえば古典劇とかの“立派”なものをやりたがっていた。

わかぎえふ、という人は、一定のファンがいるようで、それはもう、好みの問題なんだろうけれど、たぶん、中島美代子さんと、nikkouは、文学的嗜好は近いんじゃないかとおもう。