『原色の街・驟雨』吉行淳之介

原色の街・驟雨 (新潮文庫)

原色の街・驟雨 (新潮文庫)

「玉ノ井」という戦前の歓楽街の郷土史を読んだので、「玉ノ井」を描いた吉行の小説を読む。
売春の話は、女子的には、ちょっとキツいのだけれど、郷土史とあわせて読むと、興味深く感じるところもいくつか。たとえば「原色の街」の冒頭は、「玉ノ井」の街の様子をおそらくとても的確に表現しているのだろうと思う。

 本屋の隣は大衆酒場で、自転車が四、五台、それぞれ勝手な方向をむいて置かれてある。その酒場の横には、小路が口をひらいている。
 それは、極くありふれた路地の入口である。しかし、大通りからそこへ足を踏み入れたとき、人々はまるで異なった空気につつまれてしまう。
 細い路は枝をはやしたり先が岐れたりしながら続いていて、その両側には、どぎつい色あくどい色が氾濫している。……

現在の「玉ノ井」は、この「大通り」の雰囲気のみ残して、裏路地はそっくり消えているそうだ。繰り返すが、女子的には、売春はちとキビシい話なので、素朴に、「そりゃー、よかった」と思っている。今は普通の民家が軒を連ねているそうだけれど、一度散歩してみたい。

「驟雨」には、「カフェ」のシステムが描かれている。登楼後、最初に近所の銭湯に入るシステムもさりげなく描かれているし、「いま、時間のお客さんが上っているの。40分ほど散歩してきて、お願い」というカフェの女給の「道子」の台詞は、1〜2時間程度の時間買いの客と、一晩泊まる客とがある、ということを表しているのだろう。知っていて読むのと、そうでないのとでは、この世界の持つ「暗さ」の見え方がだいぶ違うような気がする。

「夏の休暇」に描かれている父子の、父は、今のnikkouより7〜8歳、若いのだろうね。「若い父」の危うさが面白かった。

最後に収録された「漂う部屋」と、長部日出雄の解説で、じつはこの作品群を書いた頃の吉行は結核で、「カフェ」に登楼したことがなかった、ということが判明して、驚く。作家の想像力って、そんなにもたくましいものなのか。