『秋葉原事件』中島岳志

この日のことは、まざまざと覚えている。
日曜日、nikkouは、午前中、川崎の教会の礼拝に出て、午後、京浜東北線で帰ってきた。途中、秋葉原につくと、電車の中の人たちが一斉に立ち上がり、一斉に片側の窓から外を見たのだ。「?」と思って、窓に目をやると、歩道橋に黒山の人だかりが見えた。全員が、ーー電車の中の人も、電車の外の人もーーみんな、同じ方向を見ていた。nikkouはまだ何が起きていたのか、まったく知らなかったので、ぼけーっとその様子を見るばかりだった。あの日、秋葉原中のひとたちが、路上の一点を見ていたのだ。

そのとき、加藤君は、nikkouが懇意にしている高校の先生の、教え子さんを殺していた。
その後、先生から加藤君について、何か聞いたことはないけれど、ただ、1つだけ、ちょっと意味深なことを言われた。ーー教え子さんの関係で、先生は上野公園の中を何度も通り抜けた(教え子さんは、芸大の学生さんだった。なんでも、事務処理的なことで、先生は何度も芸大に行かなければならなかったそうだ)。上野公園のなかで、ホームレスの方たちが炊き出しに並んでいる姿を何度も見た。彼らは、寒風吹きすさぶ中、牧師の偽善じみた、つまらない話を、抜け殻のように黙って聞いているんだ、と。それを横目で見ながら、先生は、腹が立って腹が立って、仕方がなかった、と。
nikkouは、一クリスチャンとして、ちょっと耳に痛かった。牧師の偽善じみた、つまらない話。それにむかって、何の応答もしない、ホームレスの人たち。コミュニケーションが断絶している、今の日本社会。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
加藤君は、お母さんの「教育」(むしろ「虐待」)によって、コミュニケーションの方法を教えられず、むしろ言葉を奪う方向で育てられた、と中島岳志は言う。それゆえ、コミュニケーションというものの能力や、それへの期待や限界の認識が、とても歪んだまま、加藤君は大人になってしまう。だから、ネットの言葉が「ネタ」となり、「ベタ」となり、そして、「引き金」となり「弾」となってしまった。
チャンスがなかったわけではない。加藤君を、現実の中に、「言葉」でつなぎとめようとした人たちがいた。でも、加藤君は、現実と向き合えなかった。自分の言葉で応答できなかった。それが、彼の弱さだ、と言おうと思えば言えるけれど……でもなあ、言葉で他者と向き合う、というのは、ものすごく、しんどいことだ。子ども時代から、それはそれは長い長い訓練がいる。
加藤君は、言葉という命綱を失ったまま、死刑台に消えるのだろうか。それでは、最初から死んでいる人を、殺すだけではないのか。せめて、「ああ、こうやって、人は人とつながるのか、つながりあうことができるのか」という感触がつかめてから、死ぬのでなければ、彼に、「刑罰」の意味はないのではないかという気がしてならない。