『ペテン師と天才』神山典士

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

読みながら、すごいドキドキした。読み終わってもドキドキしてた。
扉裏に「嘘をついても人は信じる。ただし、権威を持って語ることだ。――アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ」とある。いやでも、権威を持って嘘をつく人が目の前にいたら、すごい、びびるわ。太刀打ちできない感じ。
今だからこそ、「ペテン師」だなんて言えるのであって、当時、自分なら騙されなかった、なんて、絶対に言えない。

佐村河内氏は、講談社から自伝を出しているのだそうだけれど、講談社に取り持ったのは、五木寛之だそうだ。
もし、nikkouに旧知の先生から紹介原稿があったとして、しかもその著者が自分のよく知らん業界の売れっ子だなんて話だとしたら、断れるだろうか。
まあ、nikkouは今、プロパーの仕事でいっぱいいっぱいだから、持ち込みや紹介原稿が来ても、「該当部署にご案内しますよ」なーんて言って、たいがい同僚に丸投げしている。でも、もし、他の編集部に異動になっていたりして、功を焦っていて、しかもちょっと企画に枯れていたときなんかに、旧知の先生から紹介があったら、そんなオイシイ話、飛びつかない自信がない。
作っている最中に、なんかうさんくさいな、と思っても、企画を取りやめにする自信もない。むしろ、とっとと責了して、忘れちゃおうとか思ってしまいそう。(AERAやフジテレビのドキュメンタリー番組のスタッフは、途中で取りやめたそうであるけれど、うーん、勇気があるぞ、と素直に思う。)
その結果、本の内容はぜーんぶ嘘でした、なんてことになったら。恥ずかしくて情けなくて、会社に行くのも嫌になりそう。単に、読者をだました自責の念だけじゃなく、人が嘘をつく可能性がある、という事実を突きつけられたということで、深くダメージをくらいそうだ。企画を出すたびに、同僚に「こんどは大丈夫?」なんて茶化されたりして。・・・・・・うう、想像しただけで汗が出てきた。

被爆二世とか全聾とかの「記号」ではなく、その人自身を見よ、というのは、まあ、その通りだけれど、案外むずかしいよなあ、と心底思う一冊でした。