『謝るなら、いつでもおいで』 川名 壮志

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

佐世保で高校生の女の子が同級生を殺害したというニュースを聞いて、以前もあったよなあ、とアマゾンで調べて買って読んでみる。
今回の佐世保の事件のことはよく知らないけれど、でも、たぶん、全然関連性はないんだろうな、と思った。

読みながら、なんども胸がつまった。胸がつまる、というよりも、息がくるしい、という感じ。
単に、被害児童とそのお父さん、お兄さんがかわいそうというだけでなく、加害児童とその家族が痛ましいというだけでもなく、なんか、こう、ふいうちで裂け目に落ちて、空がみえない、というような、そんな理不尽なことが、この世界にはあるんだ、という感じ。
著者の川名さんは、被害児童のお父さんの部下。被害児童の家族とともに夕食を囲むことも多かったという。だからこそ、苦しみを絞り出すように、あるいは時々自責にさいなまれつつ、この事件を振り返る。

川名さんが丁寧にたどって事件の様子を読むと、かつて小学生の女児だった自分自身を振り返っても、いつか、ふと、こんな裂け目に落ちない保証はなかったーーそういう事件だったんじゃないか、と思う。12歳くらいの女の子って、誰にもそういう危うさがある。

裂け目のなかから、空を見ようとするお兄さんの姿に、また胸がつまる。つまるとともに、勇気を与えられる。
お兄さんは、事件のあと、だれにも話を聞かれなかった、という。やがて、精神を病み、しかしそこから大きく成長しながら復活していく。著者の川名さんは、その姿に、少年法がめざす、少年の「可塑性」を見るという。
題字は、お兄さんによるものだという。
でも、お父さんも、そう思っているんだろうな、と思う。

どうか、どうか、御手洗さんのご家族が守られますように。加害児童だった女性が、守られますように。そして、加害児童だった女性のご家族が守られますように。
心から心から祈る。