『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

日本の近現代史を、「若者論」からまとめる、という面白い試みで、非常に勉強になった。年配者が若者を語る時、古くは戦争にかり出される兵士や、現代でいえば起業家など、自分たちに「都合のよい協力者」として描くときは「物わかり」がよくなり、自分たちの優位性を高めたいときは「異質な他者」として描くパターンが、延々100年繰り返されているという指摘は非常に痛快。
結論としては、実際の「若者」は、言うまでもなく十人十色でひとくくりにすることなど不可能、というのがひとつ。そして、かつて「若者」の設定としてあった「安定」しない社会的地位が、現代において、世代に関係なくなってしまったということ、つまり現代は「総若者」化時代である、ということ。もうひとつは、そうした「若者」たちは、インフラも整い、戦時中や高度成長期やバブル期よりはるかに「幸せ」で、一方、特に「愛国心」もないからコミュニティさえ確保すればたとえ戦争が起きて日本が絶滅してもかまわない、と考えている、「絶望の国の幸福な若者たち」である、ということである。
そうかもしれない。
そうかもしれないけれど、なんか嫌な気持ちになるんだよなあ。そりゃあ、戦時中や高度成長期やバブル期を見て、あれが幸せだとは思わない、という感覚はよく分かるし、大事だと思うんだけれど、この時代もいやだから、とがんばってしまう湯浅誠とか森川すいめいとかいう人たち、「若者」からはださくて徒労で不幸な人たちかもしれないけれど、nikkouは、そういう人にシンパシーを抱いてしまう。ここはゴールじゃない、という意識を持ち続けていたいと思う。