『石川啄木』(ちくま日本文学033)

石川啄木 (ちくま日本文学 33)

石川啄木 (ちくま日本文学 33)

石川啄木の歌は、学生時代とても好きで何度も読んだ。だから、ちくま日文で石川啄木が巡って来たときは、楽勝で読み切るだろうと思ったのだが、どっこい、すごくしんどかった。
啄木の享年は26歳。nikkouは、今年で37歳。この10年の違いが、予想以上に大きかった。学生時代は非常に共感し、あるいは感動して読んだ歌の数々が、今読むと、つくづくナルシスティックで、センチメンタルで、要は若書きすぎて、どうも恥ずかしい。永遠の青春短歌なんだなあ。
それよりも面白かったのは、日記のほう。森鴎外与謝野晶子、鉄幹との関係についてはよく知っているつもりだったが、吉井勇とこんなに濃厚につきあっていたとは知らなかった。また、さりげなく「大久保余町に永井荷風氏を訪ねてみたが留守。」とか「平野(万里)は夏目(漱石)氏を訪わないかと言って来たが、予は行かなかった。」とか、啄木がそんな文豪たちと同時代の人間だったとは案外意識していなかった。しかも、ほいほい簡単に会いに行っちゃうし。
もうひとつ面白かったのは「時代閉塞の現状」という有名な評論で、たまたま古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』を並行して読んでいたので、あ、これも若者論じゃん! とちょっと新鮮な感じを得たのであった。古市氏がまとめたところの明治末期の若者たちは、「金持ち三代目の若旦那」と評されていたとのことで、それは、まさに当事者である啄木の口からも語られる。「我々明治の青年が、全くその父兄によって造り出された明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されてきた間に……」つまり、明治末期の若者(青年)たちの社会は、すでに父兄の世代に作られ、自分たちは、その価値観の完成のために教育されているんだ、というのだ。その社会に対して、青年たちは、異議を唱えることはできない。「我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなった。強権の勢力はあまねく国内に行き亘っている。現代社会組織はその隅々まで発達している。」そして、えもいわれぬニヒリズムが青年たちを覆っているという。「『国家は強大でなければならぬ。我々はそれを阻害すべきなんらの理由も有っていない。ただし我々だけはそれにお手伝いするのはごめんだ!』これ実に今日比較的教養あるほとんどすべての青年が国家と他人たる境遇において有ち得る愛国心の全体ではないか。」
啄木がこの評論を書いたのは、大逆事件がきっかけだということになっている。大逆事件を無視し、流動しない社会に異議申し立てせず、ニヒリズムに落ち込むなんて、自分は嫌だ、と若書きながら懸命に訴えている姿は、啄木がもう少し長生きしていれば、もっと面白い作品を書いただろうなあという予感をさせて、切ない。