『とはずがたり(下)全訳注』二条(訳注:次田香澄)

とはずがたり(下) (講談社学術文庫)

とはずがたり(下) (講談社学術文庫)

下巻にはいって、いよいよ凄まじくなってくる。後深草院が、弟の性助法親王有明)とちぎれと二条に命じるところ、「この御けしきなほざりならぬことなり。心得てあしらひ申せ。われこころみたらば、つゆ人は知るまじ。このほど伺候し給ふべきに、さやうのついであらば、日ごろの恨みを忘れ給ふやうにはからふべし。(有明のご様子は並々なものではない。よく心得てお相手申しなさい。わたしが事情を承知していれば、絶対に人にはわからないだろう。このごろ御祈祷に御所に御滞在になるはずだから、よい折があったら日ごろの恨みをお忘れになるよう計らいなさい。)」や、後深草院が二条に心を寄せる理由が、後深草院の初めてのセックスの相手が二条の母親だったからで、二条が母親のおなかにいたときから狙っていた、という告白など、現代人の感覚からすると気持ち悪い、としか言えない場面がずるずる出てくる。
二条は、その状況を「気持ち悪い」というよりは、「情けない」「惨めだ」という感覚で受け止めているようで、その分、出家希望へと募る想いの説得力が増しているように思えた。
有明の死後、忘れ形見の赤ちゃんを自分の手元で育て、自分で母乳をやり(当時は乳母がつくのが当たり前)、自分でおむつがぬれたのを気遣い、かわいくてしょうがない、という描写に、逆に自分で子どもにお乳をやれなかった昔のお姫様たちは可哀想になあ、と考えてしまう。二条の子どもたちは、その後、どうなったんだろうか。
クライマックスの、後深草院の葬列を裸足で追うシーンは、あらすじで読むと芝居がかっているが、原文で読むと、別に芝居がかっても何でもなくて、慌てたので履物がどっかに行ってしまった、足が痛くて葬列も見失ってしまった、火葬場についたら、煙しか残っていなかった、となんだかしみじみしたいい場面だった。