『幸田露伴』(ちくま日本文学023)

幸田露伴 (ちくま日本文学 23)

幸田露伴 (ちくま日本文学 23)

文体が幸田文に似ている。あ、逆か。幸田文がお父さんに学んだんだね。でも文の小説とだいぶ印象が異なる。たぶん、会話文の違いだと思うんだな。露伴は地の文の講談調がそのまま会話につながるのだけれど、文の小説は、地の文が意味の捉えにくい独特の調子なのに、会話は、現代とあまり変わらないのだ。
比較してみると、こんな感じ。

幸田露伴「鵞鳥」)

若崎は話しの流れ方の勢いで何だか自分で自分を弁護しなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神に執念く取り憑かれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮き世の苦酸を嘗めた男であったから、そういう感じが起こると同時にドッコイと踏みとどまることを知っているので、反撃的の言葉などを出すに至るべき無益と愚の一歩手前で自らを省みた。
「ヤ、あの鶏は実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲も有りはしなかったのですがネ。」
と謙遜の布袋の中へ何もかも抛り込んでしまう態度を取りにかかった。


幸田文「段」)

「へえ、いらっしゃい。高いよ、えびは。さあいくつ? へえ十ときた。」たいそうなつけ景気で恥ずかしい。「ぴんぴんしてるの選ってね。」黙っていればよかったのだが、今夜の台処の楽しさが目の前に躍っていたので、ついそう云った。男ははたち搦みのアプレ型、それが私のほうへ眼をよこしてぐんと反りかえった。
「生エビってものはね、どれもぴんぴんしているものなんだよーー。入れものは持ってきたかい、なけりゃ新聞紙をサービスしとかあ。」

擬態語や、ずるずるーと続く一文やら(幸田文の引用したところはその感じはないんだけれど)、イディオムの多用やら、地の文はとてもよく似ている。でも、会話文は、もう、まったく近代と現代。だからちょっと違和感があるのかな、幸田文のほうは。

露伴を読んで驚いたのは、前近代の価値観である。引用した「鵞鳥」は、天皇の前で金細工を作ってみせることになった美術学校の教授・若崎が、さんざん屈折したあげく、当日失敗する。江戸時代なら徳川様の前で失敗したら打ち首だろうし、それに対抗して、あらかじめ完成品を作っておいて差し替える、ということもしただろうが、もはや明治なので、天皇は「かえって芸術の奥には幽眇不測なものがあることをご諒知された。正直な若崎はその後しばしば大なるご用命を蒙り、その道における名誉を馳するを得た。」とある。なんか、啓蒙的だなあ。明治はこういうひらけた時代だからね、という露伴の教育的意図があるような気がする。
一方で、「幻談」という短編では、「徳川期もまだひどく末にならない時分」、隅田川で釣りをしていたら、死体が浮いてきた。その死体がにぎっている釣り竿がとてもよかったので、「それは旦那、お客さん(=水死体)が持って行ったって三途の川で釣りをする訳でもありますまいし、お取りなすったらどんなものでしょう。」なんて云われて、もぎとって持って帰ってきた、という話。もぎとったあと、死体をどうしたか、というと、流しちゃうのである。えええー、と眼を見張りつつ読む。現代だったら死体遺棄だよ。うろ覚えだけど「五重塔」も近代以前の職人を描いていた。こういう近代以前の感覚を生々しく描いて伝えている、という点でも、露伴は今後も読み継がれるんだろうな、と思う。