『耳のこり』『信仰の現場』ナンシー関

耳のこり

耳のこり

信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)

信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク (角川文庫)

先日、40代後半の男性ふたりと飲んでいて、ナンシー関がいかに偉大であったか、とさんざん聞かされた。nikkouはナンシー関活躍の時代、まだ週刊誌など読まないお年頃だったので、はて、どんなものか、と興味をもってまず二冊。週刊誌を活躍の場としたライターに対して、非常に邪道な読者なんだけれど、それなりに面白く読みました。

まず、10年前の芸能界を評した「耳のこり」を読みつつ、非常に月並みだが、今、ナンシー関が生きていたら、2012年の芸能界をどう評価したんだろうな、と思った。たぶん、多くの読者がそう思っているんだろうね。ここで触れられている多くの芸能人がもう、どんどん状況を変えている。石田純一木村拓哉やら花田勝やら藤原紀香やら田村亮子やら筑紫哲也やら、ああ、そんなことがあったなあ、と懐かしく、また半ばあきれつつ読む。
こんなに意地悪な…、いや、面白く本音を言っちゃって、だれかに怒鳴り込まれたり、訴えられたりしなかったんだろうか。
20年前に発表された「信仰の現場」は、ちょっと違和感を持ちつつ読み進めてきて、「斎藤忠光」という「謎のピアニスト」を取材したところで、あ! と思う。そうだ、このころは、まだネットが出現していないのだった。だから、ネットで調べりゃある程度わかることが「謎」として、ナンシー関の取材をうけることになるのだ。でも、ナンシー関はあとがきで、ちょっと興味深いことを言っている。パソコン通信(今のネットの前身?)のなかにも、きっと「信仰の現場」があるだろう、と。「信仰の現場」とは、通常の人たちには不可解なある1点に傾倒するグループのことで、ドッグショーだの、「ウルトラクイズ」だの、宝くじ会場だの、ウィーン少年合唱団だのが対象になっている。おっしゃるとおり、ネットの中は「信仰の現場」だらけですよ。
あと、もうひとつ、へーっと声をあげてしまったのが、「クレヨンハウス」についての記事だ。

「クレヨンハウス」の創始者落合恵子さんである。レモンちゃんなんて呼ばれて若者のオナペットだった氏が、いつの間にかフェミニズムの担い手になっていた…(以下略)


落合恵子って、サヨクのおばさん、というイメージしかなかった。「クレヨンハウス」には、先日妹と甥っ子と行ったのだが、妹に「クレヨンハウスって落合恵子が作ったんだよ」というと、「落合恵子ってあのサヨクのおばさん?」と言われた。うちでも夫に「落合恵子が作ったクレヨンハウスに行ってきた」というと「落合恵子ってあのサヨクのおばさん?」と言われた。そう、われわれ30代にとって、落合恵子には「サヨクのおばさん」以外のイメージはなんにもないのだ。(ちなみにわれわれが言う「サヨク」には思想的に左寄り、という意味はあまりなく、「学校の女の先生みたい」「きれいごとを言う優等生っぽい人」というニュアンスがある)。
おもわず、落合恵子wikiで調べちゃったよ。

さて、たまたま仕事で北田暁大の本を読まなきゃいけなくなったのだけど、それにはナンシー関の時代的な意義が書かれているらしい(アマゾンの書評にそう書いてあった)。下準備は整ったというわけで、今、その本を読んでいるところ。