『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』徳善義和

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

健康診断がお茶の水の診療所であったので、その帰り道、クリスチャン・ブックセンターに寄って、なにげなく買った本。それが、ものすごく感動してしまった。
宗教改革のきっかけは、昼間っから道端で寝ていた酔っ払いのおっちゃんに、当時大学教授だったルターが「こんなところで昼間っから酔っぱらって寝てたら天国に行けないよ」と声をかけたら「これがあるから大丈夫でさあ」とおっちゃんから、握りしめた免罪符を見せられたこと、だそうだ。大学で神学を教えている場合じゃない、このおっちゃんの心に聖書の言葉を届けねば! とルターは、免罪符糾弾、ドイツ語訳聖書に突っ走ることになったそうな。

「ローマカトリックに反逆した改革者」というのは結果論で、「聖書に忠実であること」という修道院の誓約を心底守ろう、と決意した結果、カトリックの壁を突き抜けてしまった、というのが真相のようだ。それも、聖書をコツコツ読み、コツコツ大学の先生をやり、コツコツ日常生活を送っているうちに。「ひらめきの天才肌」というより、周囲の期待に応えるべく、目の前のことをコツコツやっているうちに、本質的なことを掘り当ててしまった、という感じ。なんだか勇気づけられる。目の前のことをコツコツ、というのは、きっと、無駄にはならない。

むっちゃ真面目な修道士だったそうで、当時の修道院が「義」としていた「清貧・貞潔服従」をむっちゃ真面目にまもっていた。でも、毎日毎日、今日もダメだったなあ、今日も「義」ができんかったなあ、という不全感で終わる。とうとう、「義」という言葉が大っきらいになってしまったそうだ。そんなある日、大学で詩篇を講義していたら「あなたの義が私を解放する」というフレーズにぶつかった。そりゃ、矛盾だ、と思ったそうだ。義は、私をむっちゃ、縛る。

そこでこの言葉をちゃんと考えよう、と思ったルター、聖書のほかの箇所に、同じことを言っている場面がないか、探したところ、パウロの手紙に見つけた。パウロは、義=イエスの愛で、解放された、と言っている。(nikkouの理解では、「イエスの愛」とは、相手にレッテルを貼らないこと、まわりに、「あいつ、やばいから、付き合わない方がいいよ」と言われても、その人の傍らにそっと寄り添って「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と言う、その「思い」「態度」のことだ)自分は、そうやって、イエスに愛されて、解放されました、とパウロはいう。ルターは、そこで、なるほど! と思ったそうだ。そりゃ、解放されるよなあ、と。そこを一点突破に、ルターは、中世神学の「義」の意味を変換、民衆への聖書解放へと全面展開していった。

やがて、カトリック教会から追われる身となったルターは、協力者にこんな手紙を書く。

あなたがたが恵みの説教者であれば、作り物の恵みでなく、本物の恵みを説教しなさい。もしそれが本物の恵みであれば、作り物の罪でなく本物の罪を負いなさい。神は作り物の罪人を救われはしない。罪人でありなさい。大胆に罪を犯しなさい。しかし、もっと大胆にキリストを信じ、喜びなさい。

伝統をなぞるだけ、儀式を行うだけのキリスト教はもう、いらない、神様に体当たりしていこう、という明るい励ましだ。
礼拝で讃美歌をうたうことを始めたのもルターだそうだ。今のギターに似た楽器が好きだったとか。また、修道士ながら、結婚をし、子供に恵まれ、子供たちからまた多くの恵みを得たという。

たまたま前後して、NHKの、内村鑑三新渡戸稲造に関するドキュメンタリーを観た。やはり、時代の潮流にさおさして、正しい道を歩んだ人たち。さまざまな証言や著書から、彼らも必死に聖書を読み、必死に祈り、世の潮流に逆らっていても、この道が正しいことを確認しながら生きたということがわかった。そして、さまざまな迫害のなかでも、とても明るかった、と。
すごく、勇気づけられる。明日からも元気に歩いて行こう、と思う。