『累犯障害者』山本譲司

累犯障害者 (新潮文庫)

累犯障害者 (新潮文庫)

知的・身体的障害を負いながら、福祉の網にもれて、軽微な犯罪を犯し、刑務所に「保護」される人々を追ったノンフィクション。いたたまれない思いで読む。
なかでも衝撃的だったのは、ろう者のコミュニティ内で起こる犯罪だ。手話をまなびはじめて4年ほどになる。手話には抽象的な概念を示す言語がない、ということ、日本語とはまったく異なる文法をもつ独立した言語であることなどは、手話の先生から聞いてはいた。それはすなわち、日本国内に、日本語コミュニティとは異なった文化と言語をもつコミュニティが存在するということである。頭ではわかっていたけれども、それが具体的にどういうことなのか、彼らがどのような疎外感と閉塞感で、「日本語コミュニティ」の中に暮らしているか想像力が及んでいなかった。異なる文化と言語をもつ人々が犯罪を犯したとき、圧倒的に優位である日本語コミュニティの人たちが裁くということが、すでに差別ではないのか。裁判に関するさまざまな本を読んで、裁判とはすなわち「あなたはだれですか?」と問う制度である、と理解した。しかし、障害をもつ人たちに対して、裁判制度は機能していないのかもしれない。著者は、健聴者の手話はろう者に理解されない、ということを何度も言うが、諦めるのは早いと思う。デフ・ファミリーに生まれた健聴者の子供や、まれに非常な才能に恵まれた健聴者など、多くはないが、必ず、通路は開かれるはずだ。
ろう教会につどうろう者の人たちは、朝の礼拝から、夕方日が暮れるまで、熱心に手話で語り合っている。手話教室の健聴者の仲間たちが、「まだ帰らないのか、いつまでここにいるのか」と、若干辟易し始めたとき、手話の先生が、「ああやって、思う存分で手話で語り合うことで、彼らは、ひごろのストレスを発散しているんだよ」と言った。ろう教会に出会えた人たちは、幸いだった。より広く、より深く、ともに心が解放される場所が、健聴者にも、ろう者にも、与えられますように。