『毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』北原みのり

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

本書を読みながら思い出したのは、有吉佐和子の『悪女について』や東野圭吾の『白夜』である。ともに男を罠にかけてのしあがっていく女のストーリーである。『悪女について』がドラマ化されたときは沢尻エリカが、『白夜行』が映画化されたときは、堀北真希が演じた。つまり、わかりやすい「美女」である。
ストーリーはそのままに、不美人が悪女を演じて、そして、あっさり男たちが殺される(本人が認めていないのと、物証がないので、まあ、不審死をする、という方が正確か)。それもすさまじいのだけれど、北原みのりの書きぶりにそのまま乗っかってしまうなら、被害者の男たちも、なんだか、いたたまれない人たちだなあ、という気がする。傍聴に来た女性が言う「男性の結婚観って、古いですよね。介護とか、料理とか、尽くすとか、そういう言葉に易々とひっかかってしまう。自分の世話をしてくれる女性を求めているだけって気がするんです。佳苗はそういう男性の勘違いを、利用したんだと思う」との指摘でいえば、佳苗は「古い」男だけを、上手に嗅ぎ分けてひっかけたのではないかと思う。
利用したどころか、与えたのではないか、と北原みのりはいう。警戒心をいだくような美女ではなく、等身大の女からのおいしい手料理、やさしい言葉、女を保護したいという欲望、男たちはかなえられた甘い夢の中で、最後に睡眠薬を与えられ、一酸化炭素の充満する中で、夢から覚めずに亡くなった。その代金として、数百万円いただきました、と。
殺さないだけで、同じようなことをしている女は、結構いると思うよ、と同僚(男)に言われた。夢と代金を引き換えに、ただし命はとらず、上手に「別れ」を演出して、さようなら、と。
そう、結局そこなんだよね。面白いといっちゃなんだが、佳苗にひっかかる、という現象自体は、北田みのりの言う通り、男女の非対称性なり、現代日本の結婚観なりあぶりだしていて、興味深いのだけれど、最後に殺す、いや、不審死っていうのは、飛躍があるよなあ。もうそこには、「利用してやろう」じゃなくって、「こいつが嫌いだ」という明白な意志が働いているような気がする。命を奪うほどの強い憎悪。佳苗は、男たちのなにが嫌だったのか。それが結局この事件のキモなんじゃないか。