『悪いことをしたらどうなるの?』藤井 誠二(著)武富 健治 (イラスト)

「悪いこと」したら、どうなるの? (よりみちパン!セ 33)

「悪いこと」したら、どうなるの? (よりみちパン!セ 33)

「悪いことをしたらどうなるの?」というよりも、「悪いことをされたらどうなるの?」のほうに多く割かれている。
たまたま今日、相方が読んでいた『日経ビジネスAssocie 2011.10/04号』の「インテリブリッジ」というコーナーに藤井誠二氏が「『犯罪被害者』はなぜ見捨てられてきたのか」と題して、見開き1ページ書いているのを見つけた。ざっと斜め読みして、あ、犯罪被害者の取材をしてきた人なのか、と初めて認識する。『日経ビジネスAssocie』では、藤井氏自身からの推薦図書として『死刑のある国ニッポン』(金曜日)があげられていた。森達也氏との対談集らしい。森達也『死刑』、読みましたよ。
私は、森氏とは、また違う立場なんだけれど、でも、微妙に「死刑反対派」寄り、だと思う。でも、この問題についてはまだ、心も脳みそも落ち着きどころが定まらなくて、そわそわする。ちゃんと考えると、自分の「信仰」(キリスト教プロテスタント)とも絡んできちゃうし。だからこそ、よくよく考えなければならないんだろうけど。たぶん、キリスト教信仰的には、被害者も加害者も、それぞれに、救いの道があるはず。それも、被/加の二元論ではなく、当然護教的な一元論でもなく、多元的かつ全面的な道があるんだろうな、という予感があるのだ。でも、考えはじめると、ずーっと「そわそわ」に耐えなきゃいけないんだな。それが、ちと、しんどい。考える、というのは、苦しいことだ。藤井氏にせよ、森氏にせよ、考えるだけでなく、それを世に問うから、えらいよなあ、と思う。nikkouなんて、考えても、mixiあたりで、10人程度の友人相手にコソコソつぶやく程度だよ。ブログにアップするだけでも躊躇する。言語で人に問うことができる人って、それだけ、人を信用している、という気がする。