『マックス・ウェーバー入門』牧野雅彦

マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書)

マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書)

『7つの習慣』を読んで、ふと、マックス・ウェーバーを読みたくなる。こういう価値観って、「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」だよなあ、と思ったのだ。
でも、あらためて「プロ倫」を読み返すのは骨が折れるので、とりあえず、と手に取った一冊が、むっちゃくちゃ面白くって、『7つの習慣』など、どっかへふっとんでしまう。
ウェーバーは、プロテスタントの価値観を検証するまえに、ユダヤ教の価値観を分析している。今、ちょうど旧約聖書の「ヨシュア記」を読んでいるのだが、まあ血なまぐさい、残虐な戦闘シーンが続々と繰り広げられていて、なぁにが「隣人愛」だ、なぁにが「愛敵」だ、といらいらしていたのでした。そんな壮絶な殺戮をウェーバーや、彼が影響をうけた歴史学者マイヤーは、次のように説明している。

かれらの中心は遊牧民でしたが、次第に農民たちの自治的な連合体へと発展していきます。ヤハウェの神というのは、そうした連合体を構成する民を結びつける契約の神でありました。みずから武装する農民たちの軍事的連合とその栄光を約束する神ヤハウェという記憶が、その後のユダヤ教の発展に重要な意味をもたらすことになったことを後にウェーバーは強調することになります。
 さて、発展はそうした農民たちのゆるやかな連合から、統一的・専制的な権力の形成へと進んでいきます。同時にそれは貨幣・商品経済の進展と、それにともなう物質文明の発展をもたらすものでした。『旧約聖書』でよく知られるダビデ、ソロモンの王国の反映はその最盛期になります。


最盛期を迎えた王国は、やがて貨幣経済にともなう社会の矛盾と、その負担に耐え切れず滅亡。バビロニア捕囚の憂き目にあうわけだが、その苦難のなかで、民族の結束のために祭儀を中心にすえたユダヤ教が誕生した、というのが、ウェーバーをはじめとする歴史学者社会学者の分析らしい。
おもしれー! とすごく興奮する。
ヤハウェを「軍事連合の神」から始まった、と考えれば、ヨシュア記の殺戮の記録も腑に落ちる。
これが、キリスト教へと変化を遂げていく様子も、また勉強したいと思い、ふと積読してあった『旧約聖書の誕生』(加藤隆)を思い出す。『7つの習慣』から思いがけない方向へ、発展しそうであります。