『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー

7つの習慣―成功には原則があった! (CD付)

7つの習慣―成功には原則があった! (CD付)

帯によると「国内130万部突破」だそうだが、創●学会の「常勝のナントカ」っぽいなあ、と思うくらいで、なんの関心もなかった。
ところが、相方から「スティーブン・R・コヴィーってモルモン教なんだよ」と聞いて俄然、興味がわいてくる。

本書を読んで「世界が変わった!」「生まれ変わったような気がする!」という人がいるらしい。
だがnikkouにとってはあまり物珍しいことなどなく、たいがい今まで読んだ日本語のビジネス書に書かれていたことだなあ、という印象。それは逆に、日本のビジネス書がどれだけ本書の影響を受けているか、ということの証明でもあるわけだ。

勝間和代さんを筆頭に日本の多くのビジネス書を読みながら、いつも不思議に思っていたのが、なぜ、この人たちは熱心に「自己啓発」をしなければならない、と考えているのか、そして、なぜ、こんなにも熱心に「社会貢献」を推奨しているのだろう、ということだ。

『どんとこい!貧困』の湯浅氏が社会活動をする理由は、はっきりしている。
「こんな社会に、自分が生きていたくないから」
シンプルで、かつ、力強い。
しかし、勝間さんや、先日の『「朝四時起き」ですべてがうまく回り出す』の著者や、その他さまざまなビジネス書の著者たちの、「自己啓発」と「社会貢献」の動機はいったいなんなんだろう。いったい、彼らはなにをしたいのだろう。

『七つの習慣』の著者、コヴィー氏が信じるモルモン教とはどういう教義をもつのか、私は知らない。
ウィキペディアには、次のようにある。
末日聖徒イエス・キリスト教会の「戒め」とは、人が神の器としての水準を維持するための安全基準として自ら進んで守るべきものとされ、伝統キリスト教の「戒め」の定義と大きく異なっている。 (伝統キリスト教では、まず信じることによる神の罪の赦しがあり救い(信仰義認)があり、こうした無償の神の愛に変えられた者が神の愛に応える手段としての善行の戒め(聖化)がある。と定義されている。)」

これが本当ならば、少し、腑に落ちるところがある。nikkouは、「伝統的なプロテスタント」のほうの信者なので、「救い」が「行い」の先にある。つまり、イエス・キリストが先に私を救われた、神が先に私を愛された。ゆえに、その感動や感謝を表したい、あるいは、イエス・キリストの言動の真意の追求をしたい、せずにはいられない。それが私の場合、「行い」(ビジネス書のいうところの「社会貢献」)や「賜物を磨くこと」(「自己啓発」)の動機になっている。ところが、モルモン教では、「行い」が「救い」の条件になるらしい。善行を積まねば救われない、というわけだ。なるほど、だったら、必死で「自己啓発」や「社会貢献」をするよなあ。

とくにアメリカのビジネス書を読む前には、その著者の宗教的・思想的バックボーンを知っておいたほうがいい。あまりに日本のビジネス書は、そのへんに無頓着すぎないか、と思う。

ちなみに、「救い」が「行い」の先にある伝統的プロテスタントの場合、まあ、印象としてですけれど、もうすこし、「社会貢献」や「自己啓発」への態度がゆったりとしている気がするね。たとえ精神や身体に重い障害を持っていても、たとえ会社が倒産しても、たとえ家族が不幸に襲われても、その他、とても自己啓発や社会貢献などできやしないような状況に追い込まれても、神はすでに私を愛されている。だから、安心して、主イエスに従おうじゃないか、ってね。