『寺山修司』ちくま日本文学6

寺山修司 (ちくま日本文学 6)

寺山修司 (ちくま日本文学 6)

ちくま日本文学6巻め、寺山修司であります。てらやましゅうじぃ〜!?と思いました。だって、内田百輭芥川龍之介宮沢賢治尾崎翠幸田文、と来て、寺山修司よ。このあと、江戸川乱歩太宰治坂口安吾と続くのよ。どういうセレクションよ。ちなみにこのシリーズで楽しみなのは、「稲垣足穂」と「澁澤龍彦」、そして「宮本常一」「菊池寛」であります。まだ1作品も読んだことがないの。なんともごちゃまぜのセレクションでありますなあ。
寺山修司を初めて読んだのは中学生のとき。たしか、同じ「ちくま日本文学」でありました。第1回配本だったの。ちーんぷんかんぷんでした。そのあと、塾の国語の問題に「誰か故郷を想はざる」が出て、先生が「こんなクソガキのくだらねーいたずらを、こんなに美しく書くんですから、文学者ってのは偉大ですね」と皮肉まじりに言って、それで「ああ、そう読むのか」とちょっと開眼。今読み返すと、中学生の時はたぶん、自伝の形をとったフィクションの世界が分からなくて、文学としてではなく、ノンフィクションとして読もうとして混乱したのだと思います。フィクションとして読むとやはり、面白いなあと思います。
本格的に寺山にはまったのは大学生のときで、とくに短歌を熱心に読みました。当時はなーんてうまいんだろう、すばらしいんだろうと息をのんだ歌の数々、今読むと、ちょっぴりこっぱずかしいですな。

「わが夏をあこがれのみが駈け去れり麦藁帽子被りて眠る」
「駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ」
「一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき」
「人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ」

寝ころびて麦藁帽子に透かし見し日は遠し わが寺山修司
おそまつさまでした。