『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』門田隆将

なぜ君は絶望と闘えたのか

なぜ君は絶望と闘えたのか

『死刑』(森達也)に、光市母子殺人事件の本村洋氏とのメールのやりとりが掲載されている。死刑を考える際、本村氏のことは避けられないよなあ、と、ずーっと積読していた本書をひっぱりだす。

冒頭に、

これは、妻と娘を殺された一人の青年の軌跡と、その青年を支え、励まし、最後まで日本人としての毅然たる態度を貫かせ、応援しつづけた人たちの物語である。

とあって、うわあやだなぁこのノリかよーと思ったが、今のところ手元にはこの本しかないのでとりあえず読み進めることにする。案の定、すげーうるさいスポーツ中継の解説者みたいなテンションの地の文に、あーもう、うざー、といらいらしながら、それでも間間に挟まれる本村氏の記者会見や証人として法廷に立った時の発言などには、考えさせられた。地の文は安直な2項対立(あの人は敵、この人は正義の味方)でざくざくわけてしまうのだけど、本村氏自身はすごく考えて考えて考え抜いたんだと思う。
『死刑』を読んだとき、「死刑については被害にあった人次第」と思ったが、本村氏の発言を読むと、「死刑は加害者次第」ともいえるのかなあ、とおもえてきた。本村氏が指摘した大きな問題はふたつあって、ひとつが、少年法や加害者の人権保護のために、被害者やその家族は加害者と向き合えないということ。そしてもうひとつが、少年に死刑を適用するか否か、である。前者はnikkouも、どうにかしたほうがいいんじゃないかと思うけれど、後者はちょっと待って、というのが読む前のスタンスでした。
本村氏の発言を読む限り、当初は殺された家族が浮かばれない、という「報復感情」と呼ばれるものだったように思う。それがだんだん、「加害者がこのまま罪を自覚しないでいたら、加害者自身が救われない」という内容に変わっていっているように思う。
有名な「アメージング・グレイス」の作詞者、ジョン・ニュートンは、奴隷船船長時代に大時化(しけ)にあって、命の危険を感じるなかで罪に向き合い、悔い改めたという。この「大時化」を人為的に作り出して、加害者に命と向き合ってもらいたい、というのが本村氏の発想なのかな、と思った。ふーむ。単なる報復感情だったら、nikkouは「いやいやそれは違う」と言いたいところだけど、「加害者のために」という発想になると、それはなんとも…と戸惑ってしまいます。
実際、この発想は成功だったようで、死刑が決まったとたん、加害者の少年は「憑き物が落ちたよう」と門田氏は表現し、『死刑』の森達也も、この少年に会いに行って、こんなに更生しているのに死刑にするんだろうか、というような趣旨のことを言っている。「死刑」が本当に、彼に罪を悔い改めさせるきっかけになったのなら、死刑を更生の道具に使う、というのもありなのかなあ、という気がしてきてしまう。

ところが。1点、あれ!?と思ったことがありました。著者の門田氏がエキサイトしまくって批判している、安田弁護士たちの「荒唐無稽な」加害者の動機であります。「ドラえもんの押し入れ」とか、『魔界転生』とか、たしかに「荒唐無稽」な話ではあった。これは結局、「加害者が反省してない根拠」としてとらえられたのだけれども、エピローグの少年と門田氏の会見のなかで、少年が「僕は本当のことを言いました。でも、信じてもらえませんでした。」「弁護団がつくりあげたものではありません」と言うのである。門田氏はさらーっと流しているけれど、え、え、え、え、ちょっと待ってよ、とnikkouは思った。あんなに「とんでもない話だ!」と怒っていたのに、もういいの? 死刑が決まっちゃったから、もう関係ないの? 「反省していない根拠」もなにも、それが彼なりの真実だとしたら、もうちょっと、その話を聞かせてよ、当初の一応つじつまがあっていたあの犯行動機のほうが嘘だった、ということ? あなたの見えている世界って、どんなんなのよ、と、思わないのか。死刑だからもう彼の話は聞かない、おしまい、じゃなくって、もうちょっと、彼の話に耳を傾ける人が必要なのではないか。
そしてもう一つ、nikkou的には、超大事とおもえること。少年が自分の罪に向き合った理由を

「僕は4年前、ある教誨師と出会ってから変わりました。その教誨師からいろいろ教えられ、思うことが多くなりました。自分自身が大切にされることで、そのことの重要さを教えられました。命の重さを教えてもらったのです。本当にありがたかったです。」

というのである。この「4年前」というのは、2004年、死刑になる可能性が高まった最高裁の最終弁論の1年前である。これが本当なら、彼を変えたのは、「死刑」ではなく「教誨師」ということになる。
「死刑」存置か廃止か。それはまだ保留。でも、nikkouは、ここに大きなヒントを見た。もし、この人を救いたい、とおもったら、nikkouは死刑ではなく、最高の教誨師を探し、託す。そして、その人が「自分自身が大切にされることで、そのことの重要さを教えられました」とおもえるように、必死でその人を愛し、その人のために祈る。
ちょっと視点に偏りのある本ではあるけれど、すごく重要な情報は与えられたと思う。