「霊山」高行健

霊山

霊山

高 行健は、フランスに亡命した中国人ノーベル文学賞作家。当初、本書の厚みから、ルル・ワン『睡蓮の教室』や莫言『豊乳肥臀』のような濃厚で奇想天外なストーリーを期待していたのだけれど、まったく違う、今まで読んだことのないような構成の小説でした。
最初の数章は読み方がまったくわからず、前の章とのつながりもなければ、一章の中も切れ切れの断想のようなものばかりで、とらえどころがないのでずいぶんイライラした。
途中でふと、「あぁ、これは、連作短編のようなものだ、一章一章独立しているんだ」と把握したとたん、急に面白くなる。
今まで読んだ中国関係書(白川静中央公論社の『中国文明の歴史』、魯迅、ルル・ワン、イー・ユンリー、ユン・チアン莫言などなど)や、映画のキョンシーに至るまで、総動員して思い描く壮大な中国の世界。
全部で81章あるのだが、いずれもそこはかとなく寂寥感や、孤独感、絶望感が漂う。この感覚を今世界で一番理解できるのが、たぶん同時代の中国の人たちなんだろうと思う。でも、現代の中国の人たちは、高行健を読むことができない。彼の母国中国では、彼の作品は発禁なのだ。発禁のきっかけとなったのは「バス停」という戯曲だったそうだ。1982年の「精神汚染排除キャンペーン」で、「モダニズムに汚染された作品」として上演禁止になったとか。前衛的でおもしろくなきゃあ見なきゃいいだけのことだし、観客がいなければ、演劇も上演できまいと思うのに、なぜ「上演禁止」「発禁」となるのだろう。中国というのは、まったくわけがわからなくっておもしろすぎる。

ちなみに、中国系の人のノーベル賞に関して、面白い記事を見つける。

http://www.recordchina.co.jp/group/g24709.html

「これまで7人の中国系研究者がノーベル賞を受賞しているが、中国国籍を保持しての受賞は1人もいない」んだそうだ。スウェーデンも嫌味(?)なことをする。