「日本の米」富山和子

日本の米―環境と文化はかく作られた (中公新書)

日本の米―環境と文化はかく作られた (中公新書)

アフガニスタンで医療活動をしている中村哲さんが、日本のワーカーさんたちに必読書として推薦しているのが、内村鑑三『後世への最大遺物』と、本書『日本の米』だそうだ。
中村哲さんたちがアフガニスタンで水路を拓くときに参考にした、という筑後川の山田堰が登場する。
現代のようなブルトーザーなどの重機もなく、コンクリートもない時代に、人の手と、木と石だけで、水害を避け、水田を潤す技術をどんどん発達させ、この日本中に水田を拡げていったという日本の先祖たちには、たしかに感嘆する。

個人的には、トリビアが楽しかった。

・古墳も条理制も、水田に水をひくための河川工事から発達した土木業を使って作ったものだ、とか、
阿蘇山というのは、実は江戸時代の植林で作られた山で、もともとは岩山だった、とか、
・「捨て石」というのは海岸線を後退させるための技術だとか、
筑後川の河川工事を川の付近住民に承諾させるために、「河川工事に失敗したら庄屋5人、磔にする」と、藩は村の入り口に磔用の拷問具をおいて、村人たちを必死にさせた、とか
太閤検地から発達した日本の数学は、17世紀には世界一の水準だったとか、
・安積疏水の開発にかかわった土木技術者の新渡戸七郎は、新渡戸稲造の実兄だとか、
・浅草橋は、肥後の石工が造ったとか
・荒川が増水すると、関東ローム層に浮いている「浮き田」は、田圃ごと、ざーっと流されて、一夜あけると、自分ちの前によそんちの田圃があった、ということがある、とか。

読みながら、はた、と思いだしたのが、世田谷区の奥沢神社である。奥沢神社では、毎年秋祭りになると、鳥居に藁で編んだ大きな蛇をかけるのである。蛇は一年中、鳥居の上にいて、夏ぐらいになると薄汚れ、だるそうにひっかかっている。
正直、気味が悪いなあと思っていたのだけれど、本書をよんで、ふいに、あの蛇の意味がわかった。蛇は、川の象徴なんである。今は暗渠にされてしまった九品仏川。もともとは世田谷の田圃を潤した用水路だったと聞く。もしかしたら、不作で蛇が編めない年もあったのかもしれない。
世田谷の、奥沢の農民たちは、「今年も、九品仏川が干上がることもなく、無事、収穫ができました」という感謝を、蛇に編んで、鳥居にかけたんだろう。
すっかり、田圃が姿を消した今の奥沢には不気味な蛇でも、今から100年くらい前には、本当に感動と感謝の蛇だったんだろうね。