「中国の古代文学(一)神話から楚辞へ」白川静

これまで読んできた中国文学や中国史に関する本(『中国文明の歴史1〜9』中公文庫、『物語中国の歴史 文明史的序説』寺田隆信・中公新書、『漢文の話』吉川幸次郎ちくま学芸文庫、『四書五経入門』竹内照男・平凡社ライブラリー、『漢文のよみ方』奥平卓・岩波ジュニア新書、『論語物語』下村湖人講談社学術文庫、『論語の新しい読み方』宮崎市定岩波現代文庫)と比べると、各段に専門的で難しい。5日(日)から読み始めたが、これは2〜3日かかりそう。

8日、読了。
政治史や思想史ではなく、文学史から読む中国、というのは結構新鮮。面白いのは、中国の文学というのは「文学的」ではなく「政治的」であるということ。中国の文学は、叙情的でも、叙事的ですらなく、戒めや抵抗、義憤、王への讃美、王からの呪や言祝ぎなど、どこまで行っても「政治的」なんだそうだ。「中国民族の持つあの抜きがたい政治性は、すでにこのような遠い古典の時代に発しているのである。」

あと、「楚辞」という文学形態の章を読んでいて、ふと気づいたこと。
「義」って、中国語なんだー。
神の国と神の義をまず求めよ」なんて歌があったり、聖書にもそう書いてあったりするけれど、「義」は英語でいうとrighteousness、和語に訳すと「ただしさ」だろうか。古代中国には「天帝」という思想があって、「世界を支配する」という意識も日本よりずっと強かっただろうから、「義」という言葉のニュアンスは、たぶん、和語よりも、聖書の「righteousness」に近いんだろうな、とは思うけれど…。ひょっとして、「義」という訳語もびみょーに、原語からずれているんじゃないだろうか、と思った。