「そして殺人者は野に放たれる」日垣隆

そして殺人者は野に放たれる

そして殺人者は野に放たれる

狂気と王権 (講談社学術文庫)

狂気と王権 (講談社学術文庫)

先週末、井上章一「狂気と王権」を読んで、ふと、本書を積読してあったことを思い出し、今日、本書にざっと目を通す。

事例はたくさん載せてあるのだけれど、章立てが悪いのか、筆者の主張があっちこっちに行ってしまって、なにが言いたいのかわかりにくい。
ちりばめてある主張を拾い集めてみると、こんなところか(備忘録のブログなので、読者には、ネタばれや読みにくい点など、ご容赦を)。

  • ①「精神障害者は罪に問わない」という現在の刑法39条は、「精神障害者なら犯罪を犯してもしょうがない。→障害者は危険」という社会の偏見を助長するものである。
  • ②「精神障害者には責任能力がない」として、不起訴処分にするというのは、精神障害者を人間扱いしていないということである。
  • 精神障害者か否か、という判定は、精神鑑定にあたった精神科医の能力や思想に左右されて、公平ではない。
  • ④そもそも、精神鑑定自体、不要。
  • 精神障害者による犯罪の被害者は、被害にあった事件を「なかったことにする」という理不尽さを受け入れなければならない。
  • ⑥「精神障害者は罪に問わない」という条文を知った不届きな輩が、詐病によって釈放され、再犯を重ねる。
  • ⑦日本には精神障害者ではなく、「精神耗弱」ゆえに「罪に問わない」という理不尽な法律がある。これでは、常に冷静沈着なプロの殺し屋以外はすべて無罪、ということにならないか。
  • ⑧日本には、犯罪を犯した精神障害者を治療する専門施設がない。

そういえば、「39」という映画があったけれど、それは、ここの⑤⑥をテーマにしていた。

39-刑法第三十九条- [DVD]

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読んでいて、だんだん、わからなくなってきた。
「裁判って、なんのためにやるんだ?」
遺族の復讐のためか?
犯罪者を反省・更生させるためか?
社会から犯罪者を抹殺するためか?
犯罪抑制のためか?
社会の不備な点を発見するためか?

「M/世界の憂鬱な先端」を読んだときも、同じことを思ったなあ。「M」で拾い読みした精神鑑定は、あまりに気持ち悪くて、しばらくいや〜な感じだったけれど、「すべて殺人者は野に放たれる」と合わせて考えると、彼はなぜ措置入院じゃなくって死刑になったんだろう。読めば読むほど、わからなくなる。

M/世界の、憂鬱な先端 (文春文庫)

M/世界の、憂鬱な先端 (文春文庫)