『私は二歳』松田道雄

私は二歳 (岩波新書)

私は二歳 (岩波新書)


子どもが二歳になったところで、松田道雄『私は二歳』を読んだ。1961年刊。2015年現在、「私」は54歳だ。「パパ」と「ママ」は80歳前後だろうか。
「私」はいまごろ、介護や子どものシューカツに頭を悩ませているんだろう。

2歳の子に10円玉にぎらせて、駄菓子屋に走らせるなんてシーンがある。近所の子どもたちと一緒のときもあるが、ひとりの時もある。
自分は、今の大福に100円渡して、こどもだけでコンビニにやるだろうか。ちょっと想像しただけで、ぞーっとした。
60年代の親って、肝が据わっている。

ただ、私が感じた半世紀前と現在の落差として、本当に強烈な印象を受けたのは、「おばあちゃん」の存在だ。
岩崎ちひろの挿絵では、常に和服。えらく嫌みな感じのするこてこての京都弁で、東京育ちの「ママ」をいじり倒す。
登場第一声が息子である「パパ」への一言、「おうちの奥さんはえらい人どす」(お宅の奥さんはえらい人ですねえ)である。
そんでもって、民主主義かなんだかしらんが、男であるお前がなぜ布団をあげるのか、みたいなことをねちねち言うのだ。

みずぼうそうになった「私」の対策を本で検討する「ママ」への小言など、もうすさまじいの一言。

「このごろの人はよう本読まはるで、ちごてきたんやなあ。うちら若い頃嫁が本読んでたらおこられたもんや。病気になったらおばあちゃんの指図どおりや。医者よべいわはったらよびにいくのや。ちょっとでもかわったことあったら、すぐきてもろうたわ。それでちょこちょこきてくれはるお医者はんがようはやったもんや。大阪では病気になると三四軒お医者はんに電話かけといて、一番先にきやはった人にみてもらうゆうことやった。あとからきたお医者はんはええ面の皮や。運動会みたいに走ってって、もうけっこどす、ほかたのみましたいわれるのやさかい。」

こんなおばあちゃん、本当にいたんだろうか。1960年代の京都で子育てするのは、無理、と思った。