『LEAN IN』シェリル・サンドバーグ

このFacebookのCOO(最高執行責任者)であるシェリル・サンドバーグの「LEAN IN」を遅ればせながら読了。
読みながら、なんとなーくイライラしていたのだけれど、あらためて振り返ってみると、その理由がおぼろげながら分かる。
二項対立の軸が、短すぎるのだ。

日本でいえば、ワークライフバランスの提唱者、小室淑恵さんや、先日読んだ「育休世代のジレンマ」の中野円佳さんと、問題提起や結論部分など、重なるところも多い。驚くべきことに、女性蔑視的な発言や職場での扱いなども、日米に彼我の違いがないことが、具体例をとおして示されていて、面白かった。
ただ、小室さんや中野さんが必ず強調するのに、シェリル・サンドバーグがまったく触れていないことが、1点あった。

「老親の介護問題」である。

小室さんや中野さんは、「育児と仕事の両立に悩む女性の問題は、当該女性だけの問題ではない。なぜなら、少子高齢化の現代、老親の介護をめぐって、独身の男女といえども、必ずや同じ状況に直面するからである。」ということを繰り返し繰り返し述べる。
しかし、シェリル・サンドバーグの著書では、とうとう一回も、「育児だけじゃなく、介護もたいへんだけど、仕事との両立において、男女とも避けて通れない大切な問題ですね」という話が出てこなかった。
なぜに?

先日、完成した本の打ち上げに集った学者さんたち10名のうち、2名が、老親の介護があるので、とばたばたと帰って行った。
nikkouの勤める会社でも、老親の介護でほとんど寝ていない、と言って倒れそうになっている管理職が、男女問わずいる。
就業規則集を見ると、時短や育児休暇をさだめる規程の題は、「育児・介護休暇規程」である。
老親の介護問題と、育児の問題は、日本の労務問題ではつねにセットだ。
アメリカでは違うのか。

介護問題について触れれば、それこそ小室さんや中野さんのように、育児中の女性だけでなく、介護中の独身男性や独身女性とも連帯できるのに、「育児中の女性」vs「男性」、と、そこで線引きをしていいのか?

いや、「育児中の女性」vs「男性」という二項対立にしても、軸が短い。
アメリカの作家Cynthia Kadohataに、『Kira- Kira』という児童文学があって、日系アメリカ人ファミリーが主人公である。この父ちゃんと母ちゃんが、24時間稼働の鶏肉加工工場で死にものぐるいになって働くのである。もう、シェリルさんに言われるまでもなく、両親協力して、仕事も子育てにもしゃかりきである。
でも、この母ちゃんは――日本人移民で、英語力が乏しく、なにより女である――どんなにLEAN INしても、報われないのである。
……思い出しても涙が出てきた。

あるいは、映画「precious」。実父に3歳のときから強姦されつづけ9歳でダウン症の息子を出産、さらに16歳で義父に強姦されて子供を出産する黒人の少女の話。彼女は教育をとおして、自分は母だ、というアイデンティティを取得する。彼女も、出世には無縁だ。

重役会議室の近くに女性用トイレを作ることも大事だけれどさ、やっぱり、Unite!じゃないかなあ、とnikkouなんかは思う。
シェリルさんも「連帯」とはいうけれど、それは、出世する女性の足を同性同士ひっぱるな、という話であって、どうしたって出世できない立場の女性のために、お金を出し合って、無料の保育所や教育施設の、しかも安全で高いサービスが受けられるような制度を作りましょうよ、国がやらないなら、女性同士でやりましょうよ、って話にはならないのかなあ。

『フランスの子育てが〜』を読んだ後、nikkouは、自分の給料からいくらくらい出したら、シングルマザーのためのNPOや、病児の入院につきそう親のための宿泊施設に毎月寄付ができるか、考えた。
シェリルさんも、「ボランティアをしている専業主婦の方たちもすばらしいです」じゃなくって、「働くことで地位を得ることのできる女性たちは、『Kira-Kira』のお母さんのように働いても働いても貧しい女性たちのために、稼いだお金を還元しましょう」っていうふうにはならんのだろうか。
湯浅誠がいうところの溜め(金銭・健康・人間関係・教育・自尊心)が一滴も残っていない女性たちに対しては、一歩でることが出来る女性たちが、「溜め」を提供しましょう、っていう結論にはならないのか。
アメリカ人には、「それって共産主義でしょ」ってなっちゃうのかなあ。