『集団的自衛権とは何か』豊下楢彦

集団的自衛権とは何か (岩波新書)

集団的自衛権とは何か (岩波新書)

2007年刊行。ちょっと古い。古いことに気づかず、なんで金正日体制とか言ってるんだ、金正恩じゃないのか、とか、ブッシュさんは分かったけど、オバマさんの外交政策はどうなの? とか、2005年から10年は戦争が現実的じゃないという分析っていうけど、今は2014年だぞ、とか、時々混乱した。
それでも、歴史的経緯みたいなのは、よく分かったし、里永氏がまとめた『集団的自由権の行使』のいくつかの議論に対する反論などを知ることができた。
集団的自衛権の行使』で賛成派のうち何人かが指摘していた、「アメリカの戦争を買っとかないと、あとでアメリカが助けにきてくれない」という理屈に対しては、豊下氏は非常にシニカルというか、ペシミスティックだ。つまり、アメリカの戦争を買っても、アメリカは助けにきてくれないよ、というわけ。集団的自衛権行使をいいことに、日本の自衛官アメリカの戦争にさんざん振り回され殺されたあげく、日本と中国の紛争が起きても、アメリカは軍を出さないだろう、と。かつてはニクソン・ショックがあったし、最近ではイラク戦争でイギリスがアメリカに尻尾を振ったあげくに見捨てられたではないか。これは2007年時点の分析に関わらず、2014年になってみると、一層リアルな想定だ。なにせ、中国はGNP世界第二位になっちゃったしね。日本は少子高齢化でどんどん国力が下がって、3位4位どころじゃなくなるかもしれない。そうしたら、アメリカだって、日本を守るメリットなどなくなるだろう。ただでさえ国内が荒廃しているというアメリカが、日中紛争で日本に投資するなんて、考えられるだろうか。
もし、豊下氏の想定どおりだとしたら、戦争で死んでヤスクニに祀られた自衛官は、さて、犬死にでしょうか、英雄でしょうか、という、ある種の神学論争がまたぞろ始まるんだろうな、と想像する。

もうひとつ、『集団的自衛権の行使』で、岡崎久彦氏が集団的自衛権の行使は自然権であり、解釈でそれが持てないはずがない、「間違いだったと一言いえば、それで済む話」と、素人目にもなんだかすごい乱暴なことを言っている。
これに対して豊下氏は「『権利を保持していても使用しない』ということは『常識』」と一蹴、「安倍は『権利があっても行使できない』という状況を『禁治産者』にたとえたが、これでいけば、同盟する権利を保持しながら永世中立を堅持するスイスなどの国は、さしずめ『禁治産者の国家』ということになるであろう」と皮肉る。
もうひとつ、すごく重要な指摘は、「集団的自衛権」でもって日本がかり出されることになるアメリカの「自衛戦」とは何か、ということだ。たとえばイラク戦争のとき、ブッシュ大統領は、たとえ今「敵国」から攻撃されていなくても、今後攻撃される可能性がある、ということで、「自衛戦」と強弁してイラクを攻撃した。日本もそんな「自衛戦」にかり出されるのか否か。さらには、アメリカが「敵」とする相手が「国家」でなかった場合はどうか。実際、アルカイダにせよ、最近出てきた「イスラム国」にせよ、彼らは「国家」ではない。アルカイダの兵士たちがどのように生まれたかという過程を見れば、テロから「自衛」すると称して戦争をおっぱじめるのは、あまりにも非効率的で、果てしない負の連鎖にはまりこむだけではないか、と。
なるほど、いちいち説得力がある。
ある一方で、じゃあ、「中国の脅威」「テロの脅威」にはどう立ち向かうんだろう、ということは、なんの示唆もない。その点については別の人の本を読むかな。