『リアル・シンデレラ』姫野カオルコ

リアル・シンデレラ

リアル・シンデレラ

周囲から見たら、惨めな人なのかもしれない、幸いを逃した人なのかもしれない、でも、本人はとても充足していたのかもしれない、という話。でも、もう少し、「幸せ」な思いをしてもよかったのになあ、と思い、いやいや「幸せ」ってなんだ、この人は「幸せ」だったのではないか、と思い返し、ああ、でももう少しなんとかならないか…と、また考えて、ああ、わたしって俗物だ、と思う。「幸せ」とは、ガラスの靴をもって追いかけてきた王子様と結婚することではないのですな。
姫野カオルコ、うまいです。本当に「リアル」で、ノンフィクションか、モデル小説かと思うくらい。
ラストシーンはちょっとカタルシスがないなあ、と思う。別に、だれかを救うために命を投げ出すみたいな展開でなくてもいいけれど、まあ、平凡な溺死や病死でもいいような気がする。
最後のページに、ガーファンクルの「Mary was an only child」という歌の歌詞が記されている。「You might have seen Jesus, and not have known what you saw」(君はイエスに会ったのかもしれないね。誰に会ったのかわからなかったかもしれない。)物語の集約としては、なかなか深みがある。姫野カオルコは「Jesus」を「清く尊いもの」と訳している。まあ、誤りじゃないけれど、Jesusというのは、それだけで一つの物語だからなあ。たんなる清らかさというよりは、愛の塊として生きた存在、侮られ、さげずまれ殺されたのに、人々の間にあたたかくよみがえった存在、というか……。姫野カオルコも、小説の流れから読み解くに、この歌詞について、決して外れた理解をしていなさそうだと思うが。
『私たちはこうして原発大国を選んだ』(原田徹)を読んで以来、本当の幸せとはなにか、考え続けている。姫野カオルコが示したのは、その一つの「リアル」な解答かもしれない。

追記:7月15日、丸善で本書が文庫化されているのをみた。文庫版あとがきをぱらぱら読んでいたら、姫野カオルコ、毎日寝る前に聖書を読む、と書いている。ふむ、やはり、Jesusの意味は的確に捉えたうえでの小説なんだろうな。