『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想」内田樹
ハリウッド映画で学べる現代思想 映画の構造分析 (文春文庫)
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/04/08
- メディア: 文庫
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内田マジックにはまって、一気に読んでしまう。
面白かったのは、「アメリカン・ミソジニー」の章。ハリウッドで作られ、ヒットするアメリカ映画では、女性はつねに嫌悪される対象である、とのこと。なぜなら、アメリカの開拓者たちにとって、圧倒的に少ない女性によって「最後まで選ばれない」というトラウマがあったから。
したがって、ハリウッド映画とは、
「『女なんてろくなものじゃない』/これは、生涯ついに女に選ばれることなく死んだ無数の開拓者の墓に向かって、アメリカ人たちがその身を切り裂くようにして語り続けている『弔辞』なのである。」
だそうだ。
そういえば、マドンナ主演の「Body」という映画を家族で見ていた時のこと、最後にマドンナが殺されるシーンを見て母がふと、「この映画って、ヒットしたの?」と聞いた。日本じゃヒットしなかったらしい、と答えると「そうよね。だって、マドンナが死んじゃあ、つまらないじゃない」と言った。これは、非常に日本的な感想なのかもしれない。日本人は、「あれ、死んでおしまい?」となんだか腑に落ちないものがあるが、内田説を適用すれば、この映画は、最初からマドンナを殺すために作られた、ということになる。
でも、待てよ。「シックス・センス」は? 嫌な女は出てこないぞ? と思ったら、あの映画の監督はインド系であった。「アダムス・ファミリー」は?ティム・バートンはイギリス系か。でも、「body」はドイツ系の監督だ。
「日本人はホニャララ」のように、多種多様な「日本人」をひとくくりにする考え方が、nikkouはあまり好きではないのだけれど、この内田説も、「アメリカ人は」と言ってしまうと、ちょっとずれる気がする。「アメリカの、開拓者時代に移住してきた白人男性の子孫は、女性が嫌い」としたほうが、正確なんじゃないかな。