『こんな私が大嫌い!』中村うさぎ

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

こんな私が大嫌い! (よりみちパン!セ)

nikkouが中村うさぎの名前を見るようになったのは、週刊文春の「買い物の女王」からだったかと思う。「買い物依存症」で、ゲイの夫を持ち、ホストクラブに通い、整形手術を受ける、というようなネタを毎週、次から次へと繰り出し、nikkouの先輩たちは、「現代の無頼派」「最後の文士」と呼んでいた。

買い物依存症や整形手術にハマったのは、前の夫と離婚してからだ、と本書に書いてあるけれど、文春に登場したころは、すでにゲイの夫の話題が同時進行で書かれていたように記憶する。今の夫とは、うさぎさんにとって、どういう存在なんだろう、自分の長所も短所も受け入れてくれる存在、ではなかったんだろうか、と思った。

思春期のころが、一番、肥大した自意識に苦しむ、というようなことを、本書では書いてある。そういえば、そうだったかもしれない。自分の場合、中島敦の「山月記」にある「尊大な羞恥心、臆病な自尊心」なんて言葉に感情移入し、太宰治の「人間失格」を読んで身悶えしたり、日記書いたり、短歌を詠んだり…わかりやすく鬱屈した文学少女でした。27歳で、9キロ減のダイエットに成功すると、急に、道ばたでナンパされたりするようになった。まあ、動物でいえば、繁殖期のサインがひゅんひゅん出ていたようなものだったんでしょうが、その頃はうさぎさんの言葉でいえば「自己評価」が定まらず、「劣等感」と「優越感」のバランスを揺れ動いたあげく、へんに卑屈になったり尊大になったりして、それはそれで、また大変だったように思う。
それがにわかにおさまって、これまたうさぎさんの言葉でいえば、「自分を好きでも、嫌いでもない状態」になったのが、30歳のころ、結婚してからだ。だから、肥大した自尊心っていうのは、ひょっとしたら、繁殖期のホルモンバランスみたいなののような気がしないでもないが、まあ、平凡な家庭生活が、肥大した自尊心を冷ましてくれたんだろう、とも思う。

先日、高校生時代によく聴いたポップスをふと耳にして、しみじみ、つくづく、あの年齢を、よく乗り越えて、ここまで生き抜いてきたもんだなあ、と思った。nikkouの今の年齢って、平安時代でしたら、すっかり「晩年」ですからね。「青春」どころか、「夏」ですよ、高校生時代ってのは。あのころに戻りたいとは、露ほども思わないけれど、肥大した自意識を格闘して乗り越える、っていう経験は、その後、平凡な人生をつつがなく送るためには、本当に貴重なことであることよ、とつくづく思う。