『異邦人』カミュ・窪田啓作訳

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

日本人キリスト教徒である私が読むのと、カトリック文化圏のフランス人が読むのとで、だいぶ受け取り方に違いがあるだろうなあ、と感じた。
この数年間、仕事を通じて散々「現象学」だの「構造主義」だのってのサワリを読まされてきたせいか、「なぜムルソーは母親の死に無感動なのか!?」なんて疑問は浮かばなかった。「書かれていない背景がいろいろとあって、ものの見方は人それぞれで、関係性のなかで行為がなされるからでしょう。」みたいなことを、それこそ無感動に思っちゃうのである。で、その「背景」や「関係性」やらをパズルみたいに解いてみたいなあ、と思ったり、誰か解説してくれないかなあ、と思ったり。
だから、面白かったのは「ムルソーの無感動さ」よりも、予審判事が十字架を振りまわして悔い改めを迫るシーンとか、死刑囚担当の司祭がやたらとなれなれしく踏み込んでくる様子のほうだ。そういうのって、おとなしーく倫理的な生き方を目指している人の多い日本人クリスチャンの群れの一員としては、不気味に映る。
フランスのキリスト教文化と倫理観と、それが『異邦人』にどんなふうに反映されているのかってことのほうが、なんだか興味深い。