『千々にくだけて』リービ英雄

千々にくだけて (講談社文庫)

千々にくだけて (講談社文庫)

日本語を母語としない作家による日本語で書かれた小説。9.11を描いた「千々にくだけて」と続編の「コネチカット・アベニュー」、「千々にくだけて」をノンフィクション的に書いた「9・11ノート」と、1998年の作品「国民のうた」の全4編を収録。
かつて『星条旗の聞こえない部屋』で、お父さんが言った台詞、「どんなに日本語が上手だろうが、「天皇陛下バンザイ」と叫んで皇居前広場で割腹自殺しようが、日本人は、お前を日本人と認めない」という趣旨のことを、「国民のうた」では、お母さんが放つ。「A gaijin until the day you die」…「いくら日本人といっしょにいても、けっきょくは死ぬまで外人として扱われるでしょう。」
日本人の立場から読むと、どうしようもなくいたたまれない気持にさせられる。そうなんです、本当に、そうなんです。日本語に流暢な外国出身の人と話していても、ちょっとしたことに、自分との差異を見い出そうとし、「やはり、外国の人だからなあ」と思っていたりする。
リービ英雄の書く、日本語に流暢なアメリカ人は、そのことを声高に批判しない。困ったように立ちすくむばかりだ。
そんな宙ぶらりんの立ち位置にいるアメリカ人が、日本からアメリカに向かう途上で、9.11に遭う。宙ぶらりんだからこそ、こんなシーンが鮮やかに描けるのだと思う。ちょっと長いけれど、個人的な備忘録ということで、お許しいただいて、メモをとっておきたい。

Sometimes
機長の声だった。機長の声は、米語のようだが、米国人の米語よりやわらかに聞こえた。
機内に流れる機長のアナウンスの中で、Sometimesということばをエドワードはこれまで聞いたことはなかった。
ときには、とエドワードは思わず日本語でささやいた。
Sometimes a captain...
ときには、機長というものは……
機長の声は、ためらっているようで、わずかに途切れた。それから、ゆっくりとmustと言って、つづいた。

……悪いニュースを伝えなければなりません
機長はそんなことを言っていた。
連絡が入りました

スピーカーから流れるその声は、もう一度、一瞬だけ途切れた。たぶん、機長室にはその連絡がすでに何時間も前に入ったのだろう、平板な声で
the United States
と機長がまた言いだした。
それから、ゆっくりと、優しげな口調となって、
has been a victim
と言いつづけた。
耳に入ったそのことばは、意味をなさなかった。頭の中で奇妙な日本語が響こうとした。

アメリカ合衆国は、被害者となった

of a major terrorist attack

アメリカ合衆国は、甚大なテロ攻撃に被害者となった
くわしいことは、今伝えられません
機内での英語の声がすこしずつ静まった。いくつかの日本語の声と、一かたまり二かたまりの北京語の声が無邪気につづいていた。何語ともつかないおどろきの音も何列か前と何列か後で起った。

(中略)

機長の声が切れると、日本人スチュワーデスのアナウンスがあった。通訳しなければならない内容がよくわからないし、自分とは特に関係のない事柄だ、といった事務的な三十代の声だった。アメリカ合衆国は被害者となった、とは言わず、そんなことばがはじめて口をついて出るようなおぼつかない口調で、アメリカ合衆国は、テロ、テロリストの攻撃を受けました、ゲートに着くまではだいぶ時間がかかりそうです、みなさんご辛抱をお願いいたします、と短く言い終わった。
それからスピーカーからは何も聞こえなくなった。