「権力の読みかた」萱野稔人

権力の読みかた―状況と理論

権力の読みかた―状況と理論

自分が無知だったんだろうけれど、「身体をつかう労働に従事し、高等教育をうけておらず、収入も低い」男性が、右傾化する、というのは、日本だけの現象じゃなかったんだ、と驚く。
フランスの大統領選でル・ペンという極右候補者が第二位の得票率を得た、という話。面白かったのは、注にある、「大統領選でル・ペンの支持率が高かった地域では、総選挙(決選投票)での棄権率が軒並み高かった」という点である。反ル・ベンキャンペーンに、投票する気力を失った、という読みかたもあるかもしれないけれど、「自分らがうまくいかないのは、移民のせいだ、純粋なフランス白人を守れー」というノリでル・ペンに投票して、いざ決選投票になったら、さっと逃げちゃう、っていう感じだったんじゃないの? という気もする。先日の「SAPIO」の広告に、「女尊男卑が過ぎませんか」という特集があったのを思い出す。実際男の子に、「ああそう、あなたのお給料で妻子みんな、養っていただけるのね」とご飯作ってお風呂沸かしてお布団しいて家でじーっとしている妻を実際にもったら? と聞いたら、裸足で逃げ出したくなる、といわれるようなものだ。移民問題が大きくない日本では、移民のかわりに女性がはけ口にされちゃうのかな。
自分の置かれた立場の理不尽さを見つめるには、訓練が必要だ。別に学歴や知識という意味じゃなくて、頭の使い方の訓練、という意味で「高等教育」は不可欠だと思う。
右傾化のノリで、巧妙に「権力」の罠にひっかかって、ますます追いこまれてしまうなんて、泣くに泣けない。

あと、本書で、ああそうかー、と目からうろこが落ちたのは、「権力の脱人格化」の話。以前読んだ「サーバント・リーダーシップ」では、「権力」と「権威」を対比させて論じていたんだけれど、「権威」は、日本語では「人格」とか、もっと丁寧に言うと「人徳」とか、そういう語に訳したほうがいいんだろうな、と。今の日本では「権力」も「権威」も脱人格化しちゃっていて、「サーバント・リーダーシップ」のいう「権威」にすごく違和感があったのでした。

最後の「理論 フーコーの方法」は、途中で文脈を追いかけるのに疲れちゃった。もう一度、気力があるときに読み返そうと思います。