「悩む力」姜尚中

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

本書は漱石とマックスウェーバーを手掛かりに、「悩む」ということの意義を説いたエッセイ。なんともストイックで、さすが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」な感じ。
文体からすると、語り下ろしのようであります。だから読みやすい。
ただ、著者が薦める「悩む」というのは、本人も言うように、結構しんどい状態だ。
「悩む」とは、解答を急がないこと、解答のない宙ぶらりんの状態に耐える、ということ。それって、かなり精神的にタフな人でなきゃ難しいだろう。さもなくんば、「求めなさい、そうすれば与えられます」(マタイ福音書7章7節)という約束を信じるしかない。きっと与えられる、と信じていれば、安心して悩むことができる。
安心して悩むことができる、というのは、とても幸いなことだと思う。「安心」がないまま悩むと、人間、きっと追い詰められちゃう。人によっては希望を失って、ひきこもっちゃったり、自殺しちゃったりするんじゃなかろうか。姜先生、そのへんどうなんでしょうか。

著者は、「なんのために働くのか」という問いに『それから』の代助を例に「他者からのアテンションを得るため」と答えている。これはよくわかるなあ、と思った。富豪の愛人になったり、莫大な遺産が入ったりして、一生贅沢できるとしても、仕事がなければ、きっと私は幸せじゃない。
『それから』の代助は親の金でぷらぷらしているニートだったのが、親に勘当されて働き口を探しはじめるなり、地に足がついたと、著者は解読する。
うちの相方も、長いモラトリアムを抜けて働き始めたら、2年前、1年前とは別人のようになった。会社の同僚には、伴侶が会社の社長だったり、土地を持っていたりして、お金に困らないはずなのに、ばりばり働いている人たちが何人もいる。みな、すごく有能な人たちだ。彼らがいなければ、私は会社がこんなに楽しくはなかったと思う。大事だなあ「働く」」ってのは、とつくづく思う。