「正義のミカタ I'm a loser」本多孝好

正義のミカタ―I’m a loser

正義のミカタ―I’m a loser

本多孝好現代日本作家で好きな人、というと3本の指に入る。本書が昨年にはもう出ていたのに、しばらく放っておいたことを、今、しみじみと悔いている。

半分くらい読み進んだところで、まさか本多孝好がこんな勧善懲悪で終わるまい、と思う。さらに4分の3まで読んで、まあ面白いけどこれで終わるまい、と思う。そして、ラスト15ページで、ああ、そう来たか、いや、そうでなければ、そうだそうだ、と胸がいっぱいになる。

神の国と神の義をまず求めなさい すべてのものは与えられる ハレル ハレルヤ」という讃美歌があって、わたしの所属するシンガーズ、クワイアーではレパートリーとしてよく歌う。歌いながら、じつは、少し居心地の悪い思いをしていた。
神の国」は、半年前に分かった。今この世界にあって、居場所のない人たちが、「ああここなら生きられる」「ここなら深々と息ができる」そう思える場所だ。

でも「神の義」が分からない。「神の義」というと、右手にバイブル、左手にクラスター爆弾を持ったブッシュ大統領が脳裏に浮かぶ。それが「神の義」か? まさか。

「最も弱くされたもの、最も低くされたものと共にある、それが『神の義』だ」という人がいる。すると、「キリスト教とは弱い者たちの恨みつらみの宗教である。」「最も低くされたものが最も尊いという教義に騙されて、虐げられたものは、いつまでも搾取されつづける。」という、たぶん何重にも翻訳されたニーチェマルクスの格言が脳裏に浮かぶ。
そして、自分の「神の義」という歌声だけが、いつもうつろになる。なんなんだ、「神の義」。

本多孝好は書く。「正義のミカタ」にぼこぼこにされながら、「渾身の力を振り絞って」武器から「手を引き剥がす」姿を。
そして、その希望を。
ただ、静かに待ち続ける希望を。

宗教小説ではありません。聖書のせの字も出てきません。むしろポップな青春小説を装っています。でも、じつは、三浦綾子よりも遠藤周作よりも、nikkouは本多孝好が好きです。