「唱歌誕生―ふるさとを創った男」猪瀬直樹

唱歌と十字架』(安田寛)で、「うさぎ 追いし 彼の山 こぶな 釣りし 彼の川」(ふるさと)の作曲者、岡野貞一がクリスチャンであった、ということを知る。そこで岡野貞一のことを知りたいと思い、本書を読んでみた。

岡野貞一のことを触れていないわけではないけれど、メインは作詞家の高野辰之のほう。二人は特に親しかったわけではなく、文部省唱歌を作る、という仕事上での関係でしかなかった、とのことである。

さらに大谷光瑞西本願寺第22世門主で、大正天皇の義兄。妻の妹が大正天皇に嫁いだ)に大きく紙幅が割かれている。高野辰之の妻の実家、井上家がかかわりの深かった門主で、ちょっと変わった人だったらしい。

中心となる井上一家の人間関係がすごくややこしい。系図をUpしたいが、できず。

この井上家に島崎藤村が寄宿して、「破戒」を書くが、井上家がモデルにされたことで村人から口さがない噂をたてられ、えらい迷惑をしたらしい。また高野辰之は田山花袋の家が近く、親交があったとのこと。

結局、岡野貞一は、どのような信仰に生き、どのような思いで唱歌を作曲したのかは、想像もつかない。ほかの本にあたるか。

情報としておもしろかったのは、高野辰之、岡野貞一コンビで作った歌は、「ふるさと」のほかに「紅葉」「春の小川」「朧月夜」などがあったとのこと。

先週読んだ『貧民の帝都』(塩見鮮一郎・文春新書)に、明治初期の貧民救済に尽力した人物として、石井十次山室軍平賀川豊彦の三人のクリスチャンを挙げている。このうちの1人である石井十次が創設した岡山孤児院は、岡野貞一が通った岡山教会が支えたという。