『昭和キャバレー秘史』福富太郎

昭和キャバレー秘史 (文春文庫 PLUS)

昭和キャバレー秘史 (文春文庫 PLUS)

川端の『掌の小説』で、状況がよく飲み込めない作品に、「ダンサア」や「ダンスガアル」「踊り子」の存在があった。たとえば「時雨の駅」で小説家根並の妻は「踊り子」である。「黒牡丹」の妻も「ダンス・ホオル」の「踊り子」、「踊り子旅風俗」のメリイは大森の「舞踏場のジャズバンドで踊る断髪のダンス・ガアル」でメリイの姉は芸者である。「鶏と踊り子」では、「舞台稽古が終わるまで、母は外で待っている」という。この踊り子は鶏を浅草の境内に捨てに行く。「縛られた夫」の妻蘭子は浅草の「レヴュウの踊り子」、「舞踏靴」の「踊り子」もジャズバンドを引き従えて旅をする。「楽屋の乳房」でも「レヴュウの踊り子」に、母乳の出るA子が出てくる。
時期はおそらく大正〜戦前に集中している。娘から妻、母親まで、女性たちの背景や年齢も幅広い。風俗嬢ではなさそうだが、豊かな生活をしている様子ではない。
いったい、彼女たちは具体的にどのような仕事をしていて、どのような社会的認知をされていたのだろう。
ということで、「ダンサー」「ダンスガール」「踊り子」/「大正」あるいは「戦前」で検索してみたが、一向にヒットしてこない。ようやくヒットしたのが本書である。
著者のキャバレー太郎こと福富太郎氏は戦後の人なので、川端の作品に関わりがある箇所は、キャバレー前史について述べた第一章〜第二章で終わってしまった。ただ、なんとなく惰性で最後まで読んでしまう。
川端が描いたダンサアとは、おそらく「ダンスホール」という風俗にいた女性たちだろう。ハルビンの「ファンタージヤ」というダンスホールの説明によると「気に入った女性をボーイに頼んで指名する。飲んで食べてダンスをし、その間に歓談して話がまとまれば個室でのワルツ、タンゴはお好みのままとなる」というシステムである。あるいは「ダンサーは三分間踊って客からチケット一枚を受け取る。チケットは十枚綴りで一円程度だった。」「ダンスホールは全部が出銭で、ダンサーが店からチケットを買って持っていると、お客がそれを倍の値段で買ってくれる。それが彼女の稼ぎというわけである。」とある。
ちなみに「踊り子風俗」に出てくる「大森」は、「銀座、新橋から車で一時間の、いわば奥座敷である。……お客と女給が店を終えて、さて飲み直しと腹ごしらえをし、シケ込むには格好の場所だったようだ。」とある。
戦後は進駐軍相手のダンスホールが作られ、「当時、ダンスホールにおけるダンスのチケットは一枚三円だったが、二十一年十月から施行された舞踏税十割課税で六円(十枚綴り六十円)となった。六円の内訳は税金三円、残三円は業者六分(1円八十銭)、ダンサー四分(一円二十銭)の収入となる。客が心ゆくまで踊るとなれば百〜二百円はかかり、ダンスはそれまでの一般勤労者の楽しみから振興の特権階級のみの遊びに変わる傾向が萌してきた。ちなみに、当時のサラリーマンの月給は三百五十円に押さえられていたが、ダンサーの月給は五百円から千円くらいで、一般サラリーマンに比べればはるかに高収入である。」とある。
そんなわけで、吉行淳之介永井荷風が書く「女給」のように身体は売らないけれど、たぶん今で言う社交ダンスの相手を、男客に、金で提供する、ということで、まあ、踊るキャバクラ嬢、というイメージなんだろうか。
そうであれば、キャバクラ嬢に、食べて行くためさまざまな事情の女性たちが集うのと同じように、ダンサアに貧しい娘や母親が集っても不思議ではない。高級クラブがあるように高級ダンスホールがあって、小説家の妻がそこのダンサーであっても、まあおかしくはないかな、という気がする。

ところで、はっと気づいたことがあって、魯迅「藤野先生」冒頭に、清国留学生が留学生会館で「ダンスの稽古」をする、というシーンがある。これって、ダンスホールに遊びに行く練習をしていたんじゃなかろうか。編集長にそういうと、時代が違う、だいたい社交ダンスじゃ「ドシンドシン」と踊らないでしょうよ、と言下に否定された。彼は、「春節なんかでやってるような、民族舞踊じゃないの」という。そうかなあ。今度、先生たちに聞いてみよう。

ちなみに、そんな話をしながら新橋を歩いていて、ラーメン屋「直久」の前を通った。「直久」も本書に出てきた。新風営法が施行されたときに取り締まりにあたった警視庁防犯部長の土橋栄一が、後にオーナーになったというラーメン屋だ。そういうと編集長から「つまらん本を読んでるなあ」とあきれられた。まあ、たまにはね。

後半のキャバレー史に描かれたキャバレーの人間関係は、漫画「女帝」とか新堂冬樹「黒い太陽」なんかに描かれているキャバクラとよく似ている気がした。