『拉致 2 左右の垣根を超える対話集』蓮池透

拉致〈2〉左右の垣根を超える対話集

拉致〈2〉左右の垣根を超える対話集

森達也氏が対談相手だったので、彼はどういうのかな、という興味で読んでみる。森さんは、北朝鮮との国交正常化が一番有効だと考えているようだ。国交正常化を通じて、北朝鮮に、日本からの「情報を入れればよい。多くの人が出入りすればよい。状況は劇的に変わるはずです。」とのこと。たしかに、北朝鮮の人たちに伝えたい、とは思う。世界は今、こういうふうになっているんだよ、あなたたちは世界からこんなふうに見えているんだよ、と。でも、それで北朝鮮は、変わるだろうか。もう、独裁者が3代目だ。シリアやルーマニア東ドイツとは違う。あまりにも長過ぎた。荒野の40年というが、もう60年だ。北朝鮮の国民に、変わりたい、という意思が生まれるだろうか。日本と北朝鮮が国交正常化するとなると、韓国の反発も強いだろう。案外、ハードルは高いような気がする。

1つ、ああ、そうだったのか、と勉強になったのは、「救う会」の出自だ。「家族会」結成のいきさつは、横田早紀江さんの著書や『奪還』にも触れられてあったので知っていたけれど、「救う会」の出自については、この本で初めて知った。「北朝鮮の体制打倒は、救う会の母体である現代コリア研究所の運動理念です。元代表の佐藤勝己さんも含めて、かつて彼らは帰還運動にかかわって大きな間違いを犯したというルサンチマンがある。」とある。つまり、「救う会」というのは、もとは在日朝鮮人の方たちを北朝鮮に帰還させる運動に関わった、もとは北朝鮮シンパの人たちで、その後、北朝鮮体制打倒に理念を変更した、というグループ、ということのようだ。なんかこう、いろんな要素が絡み合っちゃっているんだなあ。

ちょっと衝撃的だったのは、「英国の科学誌『ネイチャー』が、高温で焼却された遺骨の灰からDNA抽出は普通なら不可能であるとして、どのような手法を使ったのかと吉井元講師(帝京大法学研究室・吉井富夫氏)にインタビューしたら、『今回の鑑定は実のところ断定的なものではない。サンプルが汚染されていた可能性もある』と吉井元講師はしゃべってしまった。要するにめぐみさんの遺骨ではないと断言はできないということです。」というくだりだ。「断言できない」というだけなので、「遺骨だ」とも言えない。だから、めぐみさんは死んでいるとは言えないのだけれど、でも、やはり嫌な気持ちにはなった。この、嫌な気持ち、というのと、事実、というのは分けて考えなければならないんだろう。つまり、「DNA鑑定してみたけれど、わかりませんでした」と言うべきだったんだろう。問題は、世の空気に流されて鑑定者が「わかった。遺骨ではない。」と言ってしまった、ということだ。

そしてもうひとつ、次のくだりも覚えておきたい。「最近で言えば、北朝鮮の『弾道ミサイル』問題がこの典型(メディアによって憎悪が高まり、危機意識は刺激され、仮想敵国としての北朝鮮の位置はより強固なものになる、ということの典型)です。発射直後にミサイルという言葉を使っていたのは、僕の知るかぎりは日本だけです。北朝鮮とは休戦状態の韓国ですら、『ミサイル』ではなく『ロケット』と呼称していました。四月に出された国連安保理の議長声明がネットでリリースされた際にも、記述はRecent rocket launch(最近のロケット発射)でした。ところが日本の外務省はこの箇所を、より軍事的ニュアンスが強い「最近のミサイル発射」と翻訳しました。本来なら『これはおかしい』と異を唱えねばならないはずのメディアも、むしろ率先して『ミサイル』という用語を使っていました。」
じつは、最近池上彰『そうだったのか! 朝鮮半島』を読んだのだけれど、ここにもばっちり「ミサイル」と書いてあった。森さんの真意は、実際に発射されたのはミサイルだったのか、ロケットだったのか、よくわからない、ということなんだろうか。

こうしてみると、日本人は、メディアにせよ、人々にせよ、「わからない」ということが苦手なのかなあという気がする。「わからない」ことに耐え、わかるまで待つことに耐えないと、むしろ願わなかった方向へ物事が進んでしまうということもあるのかもしれない。