『それでも日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ


加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』、ようやく読了。日清戦争からはじまる近現代史なのだけれど、太平洋戦争に入ったところから俄然面白くなって、鳥肌が何度も立った。
今まで、太平洋戦争というのは、日中戦争中に列強に経済封鎖されてやむにやまれず、なんとなーく始めてしまって、ひきどころがわからなくなってしまった戦争、という印象を持っていた。たぶん、山本七平の『空気の研究』などの影響だろう。
でも加藤先生は、当時の指導者層(西園寺公望とか山本五十六とか)の日記や手紙、御前会議の記録から、日本がそれなりにきちっと戦争のゴールを定め、戦略や戦術をきっちりたてて挑んだ戦争だった、ということを明らかにする。
(ゴールは、満州・朝鮮・台湾までは日本の領土にして、アメリカには短期決戦で臨んで、アメリカに中国との仲介をしてもらったら、手打ち、という感じだったらしい。満州・朝鮮がほしいのは、資源よりも、むしろソ連に対する「防衛線」というつもりだったそうだ。)

ところが、日本の見込みを大幅に上回るアメリカの国力とか、中国の「政治」力とか、ソ連のしたたかさとか、日本の国力の維持をまったく考えていなかったこと等々で、戦略も戦術もどんどん破られ、ああ、もう日本が求めていた「ゴール」って、望めないのかも、と指導者が気づくのが、めっちゃ遅い、という話。

……ということは、戦争責任ってのは、この戦略・戦術を立てた人たちじゃないか、とまつは思うし、加藤先生も、戦争責任っていうのは、資料やデータを分析すれば、きっちり追究できる、と考えているらしい。

じゃあ、戦後、なぜそれをやらなかったのか。
……ということは、それこそ、山本七平とか丸山眞男とかの分析を読んだ方がいいのかもしれないけれど。