『玉ノ井 色街の社会と暮らし』日比恒明

玉の井 色街の社会と暮らし (Bibliotheca Nocturna(夜の図書館))

玉の井 色街の社会と暮らし (Bibliotheca Nocturna(夜の図書館))

現在の東向島界隈にあった「玉ノ井」という赤線地帯について調べた本。淡々とこの地の歴史や環境、「カフェー」のシステム、「女給」の出身地や給与、「女給」をやめた後の様子、経営者の実態、赤線廃止後の状況などが列記される。先に読んだ「さいごの色町 飛田」(井上理津子)と読み比べてみると、ものすごくドライだ。現在進行形の色町と、すでに過去となった町との違いなのか。ふと、小林秀雄「無常ということ」の「生きている人間などというものは、どうもしかたのない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、しでかすのやら、自分のことにせよ他人事にせよ、わかったためしがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。そこにいくと死んでしまった人間というものはたいしたものだ。なぜ、ああはっきりとしっかりとしてくるんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。」という一節を思い出した。

ちなみに、2011年3月11日の半年前に刊行された本である。だから、まったくの偶然なのだけれど、今読むと衝撃的な資料が掲載されていた。古書店に売る前に、書き留めておく。

……消印から昭和三十年四月二十二日に福島県双葉郡浪江町から投函されたものである。その町に住んでいた漁師が玉ノ井の経営者に宛てたものである。(中略)
 この手紙の差出人の息子「義一」が中学校を卒業し、舟大工の親方に弟子入りするため支度金が必要なので送金してほしいという内容である。(中略)
 手紙の宛先は女給ではなくて、カフェーの経営者となっている。(中略)玉ノ井のカフェーで働く娘か妹に前借金させて送金させる内容である。経営者が送金した金額は、女給の借金に積み重なることになる。この借金はカフェーで働く女給が毎月の稼ぎの中から返済していくことになる。(中略)女給としては本意ではない借金の増額であり、直接女給の元にその手紙が到着したとしたら躊躇したのではなかろうか。だが、親族が経営者に宛てて借金の申し込みをしたならば立場の弱い女給としては了承せざるを得ないであろう。

……消印によれば昭和三十二年四月二十二日付けで福島県双葉郡浪江町から投函されている。…(中略)同じ町内に住んでいた別々の女性が、玉ノ井にあった同じカフェーで働いていたことになる。(中略)
 カフェーで働いているミチ子という娘にその父親が出した礼状である。父親や浪江町に住む漁師であり、病気により働くことができなくなったので娘がカフェーに出ることになったのであろう。漁師の道具である小舟を新築しなければならないのであるが、予算がなかったので娘に知らせたところ相当の金額を送金したものである。しかし、それだけでは小舟を作る全資金とはならなかったようで、「今、小舟は高くなっています」という意味を漂わせた文章となっている。小舟の総額は一万四千円であり、高いために未だ入手していないようだ。(中略)
 文面からは、家業を元に戻してなるべく早く娘を引き取りたい、という心情が読み取れる。だが、現実には小舟を購入する資金も不足していて、生活を立て直すにはまだ時間がかかることが読み取れる。

福島県双葉郡浪江町福島第一原発がある町だ。全国の貧しい地域に原発が建てられたという話は、もうさんざん聞いた。でも「貧しさ」とはどのようなものかという点に、具体的な想像力が及ばなかった。昭和三十年代、三丁目の夕日のころ、娘に売春をさせる貧しさ。そのつらさから解放されたのだとしたら、だれが、原発誘致を責められよう。貧困の問題、本当の豊かさとはなにか、ということ。もっと具体的に、もっと実現性をもって、考えて行かなければならない、と切に思う。