『増補 光州事件で読む現代韓国』真鍋祐子

増補 光州事件で読む現代韓国

増補 光州事件で読む現代韓国

そもそも光州事件ってなんだ、ということが知りたかったのだけれど、本書はさらにその先を行っていた。光州事件が、光州と、光州以外、同世代と、その上や下の世代、また政府側と市民側、それぞれどのようにとらえられてきたか、ということを分析している本だった。
でも、おかげでかえって、なぜ私のハングルの先生(368世代)が、盧武鉉氏や金大中氏について、記憶していることをちょろっと言うと、複雑な顔をするのか、わかった気がした。当事者の気持ちは当事者にしかわからない。絶対わからない。だから、わかろうとしちゃいけない。ただ、そういうことがあった、ということを記憶していたい。