『韓国人を愛せますか?』朴・チョンヒョン

韓国人を愛せますか? (講談社+α新書)

韓国人を愛せますか? (講談社+α新書)

nikkouが通った大学には韓国からの留学生が何人も来ていた。nikkouは彼らとわりに親しかったと思う。彼らはとても流ちょうな日本語をしゃべっていたが、言い回しにおいて、微妙に変、というか、その言い方はちょっと失礼ではないか? という場面がしばしばあった。

本書を読んで、違和感の原因の一部が氷解する。文化や価値観どころか、善悪の基準すら、ちょっと違うのである。仰天トップ3は以下の通り

1)プライバシーの概念があいまい。
:「友人とは家族ぐるみで親しくなる」なんてのはすてきな話だが、「友人の家に遊びに行ったらふつうに、冷蔵庫を開ける」「友人や恋人が席を外している間に携帯電話がなったら、かわりに出てあげる」「友人が席を外している間に、スケジュール帳やお財布の中をふつうに見る」となると、日本人的には「いやぁ、それは失礼でしょう・・・」と思ってしまう。韓国人は、お互いなんとも思わないそうだ。

2)ひとりでスターバックスに入ってはいけない
:飲食店は複数で連れだって行くもので、一人でコーヒーを飲んだり、一人で昼ご飯を食べていたりすると、店中から不審そうな視線を浴びるのだそうだ。
週5日の平日で、4日はひとりで昼食をとるnikkouなど、韓国人からすると超変人なんだろうなあ。
昼食ならともかく、ひとりでスタバにも入れないのはちょっと不便。ショッピングをしていて、ちょっと疲れたからコーヒーでも飲もうっかなあってことが、韓国の人にはないんだろうか。もしそう思っても、我慢しちゃうのかな。
3)ブスは罪
:これが一番、大変だなあ・・・と思ったことであります。
紹介されているエピソードのひとつ、日本の女の子とが親しくなった韓国人のお友達の家に招待され、ご飯をたべていたら、お友達のお母さんから「アイコ(この日本の女の子の名前)、あなた、その顔じゃお嫁にいけないわよ。私がよく知っている美容外科の先生がいるから、今度一緒に行きましょう?」と言われたとのこと。そりゃ、あんまりだろう、と日本人なら思うが、韓国では、「整形したプロセスは努力」であって、罪悪感はなく、親が子供に美容整形を「プレゼント」することもよくあるそうだ。

そういえば、韓国の教会に留学していた友人からこんな話をきいたことがある。
友人が、韓国人に「神様からいただいた顔を人間がいじるなんて、神への冒涜ではないか」と問うと、「では、白髪染めはどうなのか? 女性の化粧はどうなのか?」と反論されたとか。
ふーむ。なんだか難しい話になってきたぞ。
「文化」に「善悪」や「優劣」はあるのか?

本書では、鬱病に苦しんでいた学生が、韓国に留学したとたん、すっかり元気になった、というエピソードが紹介されている。
nikkou思うに、逆もまた真なりなんじゃないかなあ。両極端くらいなほうが、自分を縛っている社会通念から自由になれる。
韓国のあけっぴろげで裏表のない社会に行ったおかげで、日本社会を相対化できて、のびのびする日本人もいるように、韓国の学生が日本にきて、「ああ、個人主義っていうのも気楽でいいなあ」と思ったり、逆に韓国の良さを発見したりできたら、お互いにもっといい関係になれるんじゃないかと思う。