『愛の研究』ひろさちや

愛の研究 (新潮選書)

愛の研究 (新潮選書)

ずいぶん昔に買ってそのままになっていたのをふと思い出して、さっと目を通してみる。ユダヤ教キリスト教・仏教(と、イスラム教をすこし)の「愛」の概念の比較をしたエッセイ。
キリスト教の解説はこれでいいのかなあ、わたしの理解とずいぶん違う気がするなあというところがないでもないけれど、それはひとまず置いといて、一番当惑したのは、下記の『仏教超入門』とまったく異なるところが散見したこと。たとえば「輪廻転生」は「ヒンズー教の概念で仏教にはない」というのが白取春彦氏の解説だったのが、ひろさちや氏は、なんの解説もなく、ごく当たり前のように輪廻転生を出してきている。白取春彦氏の解説で「仏」とはキリスト教の「神」のような超越的な存在ではなく悟りを開いた個人のことである、ということだったが、ひろさちや氏は「ほとけさまは、いつも微笑みを浮かべて、われわれ凡夫の苦しみを見てくださっています」と、完全にキリスト教の「神」の概念をあてはめて語っている。
白取氏の下記の本には、最後に参考文献が列記されているが、ひろさちや氏の本書には参考文献がないので、ここに解説された言説がどのような経典の出典なのかどうか、検証のしようがない。(キリスト教については、聖書の何章何節からか、ちゃんと併記してありました。ただ、ひとつひとつ、一生考えていかなければならないような超難問を、なんだかえらく表層的に解説しているようで、あれー、そうかー? といちいち立ち止まらされたが)
というわけで、下記の本以上に、今の私の需要にあてはまらない本でありました。
『難解な本を読む技術』で高田氏が、「私たちの時間は限られています。『読むべきでない本』を読んでしまうことによる時間の損失は、私たちが思っている以上に甚大です。それは、単にその本を読むのに要した時間だけではなく、その本の悪い影響から脱するために必要となる時間も含まれるからです。…頭にはできるだけ『ゴミを入れないようにする』ことが肝要なのであり、いったんゴミが入ってしまったら、それを排除するために多大な労力と時間が必要になってしまいます。」と書いていたけれど、そろそろ私も、そのことについて、自覚的にならねばならぬかもしれない。
仏教について学ぼうと思いたったら、こんな、お年寄りを慰めるために書かれたような本ではなくって、もっときっちりした本を、徹底的に勉強しなければ、時間の無駄かも。